建畠覚造 展

三重県立美術館

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建畠覚造(1919~2006)は、日本抽象彫刻のパイオニアです。建畠は1940年代後半から活動を始め、1960年代のセメントや合成樹脂を素材とした作品、70年代末以降の合板による作品など数多くの作品を発表して、2006年に86歳でこの世を去るまで彫刻界で重要な位置を占めました。
建畠覚造と柳原義達は具象と抽象の違いはありますが、ほぼ同じ時期に活動し互いに敬愛し合う間柄でした。昨年、建畠覚造氏のご遺族から彫刻6点をご寄贈いただきましたのを機に、戦後の日本彫刻界に大きな足跡を残した二人の作家に対するオマージュの意味をこめて、当館所蔵の建畠作品を柳原義達記念館の一室に展示することといたしました。
建畠の回想によれば、二人の出会いは建畠が東京美術学校彫刻科に入学して間もない頃で、新入生の建畠は既に研究生であった柳原の傍らで制作したこともあったといいます。二人は1951年頃からともに野外彫刻展に出品を行い、1951年に東京で開催されたフランス現代美術展から強い刺激を受けて、彫刻研究のためにパリへ留学しました。
建畠は1953(昭和28)年7月にパリへ向かい、少し遅れてその年の暮れに柳原もパリに到着します。建畠が1955(昭和30)年1月にパリを離れるまでの約1年間、やはりパリに滞在していた彫刻家向井良吉も加わって二人は親しく交わりながら研鑽を重ねます。このパリ滞在中の1954年に制作されたのが、「テラコッタ C」です。この作品をはじめ、以後1960年代にかけての建畠作品は、人間や動植物から触発された有機的な抽象形態を示しています。
1960年代後半から70年代にかけて主に金属を素材とするユーモラスな作品を経て、70年代終わり頃から80年代半ばにかけて建畠は合板を重ねる技法による作品を発表します。以後、合板は建畠作品の主要素材として多用され、80年代半ば以降は表面を黒いウレタン塗装仕上げとする作品が制作されるようになりました。
建畠覚造は理論家肌の作家で、新素材や工業技術にも深い関心を寄せました。しかし、建畠作品は理知的な思考のみによって生まれたのではありません。この作家ならではのユーモアや諷刺、感情表現を抜きに、この作家の造形世界を語ることはできないでしょう。
※柳原義達記念館展示室Bにて展示

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スケジュール

2008年04月17日 ~ 2008年08月31日

アーティスト

建畠覚造

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