桃田有加里 個展「ぼく、雲」

「ひと」に惹かれてみちびかれ、その先の絵画へ

poster for Yukari Momoda  “I, the clouds”

桃田有加里 「ぼく、雲」

京都市左京区エリアにある
イムラアートギャラリーにて
このイベントは終了しました。 - (2014-03-15 - 2014-04-05)

In レビュー by Emiko Kawamura 2014-04-04

京都の丸太町通りに位置するイムラアートギャラリー京都にて、桃田有加里の個展『ぼく、雲』は開催されている。昨年大学院を修了した若い描き手による、新作を中心とした油彩作品20点が並んだ。

桃田はこれまで人物を主に描き続けてきた。西洋絵画の肖像画に影響を受けたという作者は、自身特有のぼかし表現を用いることで、深い詩情をたたえた人物像を描き出してきた。

本展では、数年前より作者が取り組んできた新たな試みを見ることができる。

展覧会名の『ぼく、雲』は、思想家ヴァルター・ベンヤミンの「色彩は雲の故郷である」という言葉から着想されたという。ベンヤミンは、子どもが雲を眺めながら無限に空想をめぐらせていく姿を、人間が色をきっかけに様々なものを連想し、自由にイメージを膨らませていく過程とを重ねた。

そこで桃田は、ベンヤミンの言うところの、人びとを無限の空想へと誘う媒介物としての「雲」と「色彩」を自作に置き換えたのである。

桃田の色彩は実に色鮮やかなものだ。

彼女は、あらゆる芸術作品が人の手によって生みだされる「人工物」にも関わらず、人びとを魅了し続けてきたことに着目した。そして自身の作品における人工的な要素として、自然界に存在しない特異な色を用いることを選んだのである。

本展において、人物画のほかに空間を多く占めているのが、以前より取り組んできた心象風景とも呼べる抽象画の作品群である。即興的に絵の具を重ね合わせる作業から生まれるこれらの作品は、新たな試みとして確かな存在感を示している。

丹念なドローイングを経て描きあげる人物像と、それとは相反するアプローチによって展開されていく作品群のなかで、両者が結実した一作をここに確認することができる。

《GAMEOVER》
本作は、長年親しみ続けてきた肖像画と即興的に生まれる風景作品との間を往復していく過程で融合し、現時点におけるひとつの成果を見せている。

今まで桃田は、実際に存在する人物や風景の忠実な再現ではなく、その内側に存在する「なにか」を表現することを求めてきた。仮想的世界である「GAME」と、実存しない自身の人物や風景を同様のものとして位置づけ、そこに入れ子状の小さな世界をつくり上げたのである。


人物の背後に広がる川のような流れは画面後方へ進むと、エメラルドグリーンの帯によって遮られる。それは箱庭の壁のように空間を遮断する役割となり、画面手前に配置されている人物も川もすべてが架空の事象、つまり「GAME」の世界であることの象徴となっているのだ。

絵の具をぼかすことで獲得してきたマチエールが、不特定の人物描写に内省的な表情をもたせる一方で、絵の具が躍動する心象風景には描き手の想いをストレートに表現する清々しさがある。アノニマスな人物像と筆触豊かな背景からつくり出される画面によって、ある種の緊張感は生まれ、「GAME」のごとく異次元的空間表現は可能となった。

「実際の人を写実的に描いてきたわけではなく、かたちも人である必要はない」と語る桃田の言葉から、人の内面へと迫る自身と人(他者)との間に交わされてきた葛藤の軌跡を追うことができる。人物から風景、そして色彩への探求。常に変わってゆくことを望むこの若き描き手の純粋さは、魅了されてやまない「ひと」の先にあるものを引き寄せる、媒介者となってゆく。

Emiko Kawamura

Emiko Kawamura . 群馬県生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科卒業。京都の古美術商に勤め、日本近世~近現代におよぶ墨跡・絵画・工芸品等の商いの現場に触れる。それ以後京都を拠点に、洋の東西・古今を問わず美術という複雑怪奇な分野の周辺をねり歩き、観察を続ける。京都市在住。 ≫ 他の記事

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