アンドレアス・グルスキー 展

欲望する写真のアンビヴァレンス

In レビュー by Megumi Takashima 2014-04-01

ドイツ現代写真の代表的作家、アンドレアス・グルスキーの日本初の個展。1980年代初頭の初期作品から近作までの約50点が、作家自身の会場構成によって、年代順やシリーズ毎といった区分を設けず、新旧・大小を取り混ぜて展示される。

グルスキーの写真作品の特徴はまず、一辺2~3m、時にそれ以上に及ぶ巨大なプリントと、デジタル技術を駆使した緻密で高精細の画像世界にある。

その制作手法は、鮮明な細部とプリントの大型化が可能な大判カメラで撮影した後、現像したネガをスキャナーで読み取り、モニター上で複数の画像をつなぎ合わせ、修正や合成を施すことで、一枚画として完成させている。

そのデータを再びネガに焼き付けてプリントすることで、壁を覆うほどの巨大な画面の中に、(視覚的刺激としてもデータとしても)膨大な情報量が詰め込まれた「ビッグ・ピクチャー」が出現する。

複数の画像の接合による多視点の混在と、隅々にまでピントが合わされた細部の集積により、それらは実在する風景や建築を撮影したものであるにもかかわらず、現実の対象との結びつきが希薄化し、現実感や距離感を喪失した、「一見自然だが現実にはあり得ない奇妙な画像」として浮遊し始める。

こうした虚構化の手つきは、よく指摘されるように「スペクタクル化したグローバル資本主義社会」の象徴的存在へと積極的に向けられる。

カラフルで安価な商品が整然と並ぶスーパー、売り買いの人々が蠢く証券や商品取引所、空港のフライトボード、途上国の工場の生産ライン、管理社会と権力を象徴するかのような巨大な高層建築、高級ブランドの商品陳列棚やきらびやかなファッションショー、あるいは富と権力が誇示される場とは対極の、地平線にまで累々と連なるゴミ捨て場…こうした「グローバル資本主義社会」の象徴的存在であれ、社会主義国家の繰り広げる壮大なマスゲームであれ、それらは等しく、魅惑的だが空虚なスペクタクルを上演し続ける装置として提示される。

また、このような合成処理による画面構成や徹底した細部のコントロールがもたらす人工性によって、グルスキーの写真作品は、むしろ絵画へと近接する。

しばしば絵画との比較において語られるように、例えば、集合住宅を撮影した《パリ、モンパルナス》(1993年)は、その厳格なグリッド構造とカラフルでリズミカルな色彩によってモンドリアンの絵画を連想させ、《ライン川 Ⅱ》(1999年)や《ベーリッツ》(2007年)における単色の色彩の帯が積み上がる積層構造は、ミニマリズム絵画を想起させるだろう。あるいは、カーペットを接写した《無題 Ⅰ》(1993年)は、リヒターのグレー・ペインティングへの連想を誘うかもしれない。

また、特に本展の展示構成において、抽象表現主義絵画への参照をほのめかすのが、ネオンの光や油膜が揺らめく川面をオールオーヴァーに写し取った《バンコク Ⅱ》(2011年)と、ポロックのドリッピング絵画を撮影した《無題 Ⅵ》(1997年)の対置である。

だが、他にも数点出品されている<バンコク>シリーズは、ただ視覚的に美しいだけではない。画面に近づいて目を凝らすと、川面には油やゴミが浮き、経済発展に伴う自然破壊という社会批判を読み込むことができる。

こうした巨視と微視の往還運動を促すように、壁のキャプションを排した展示方法が考慮されていた。従って鑑賞者は、キャプションが要請する一定の距離に束縛されることなく、画面の全体的構成/細部の密度の行き来を自由に楽しむことができるのである。このようにグルスキーの写真は、ミクロとマクロ、現実と虚構、写真と絵画、抽象と具象、視覚的快楽と現代社会批判という様々な2軸の往還の中にある。その往還を、肉眼視をはるかに凌駕した圧倒的な視覚体験として味わうことが、グルスキー作品の魅力であると言えるだろう。

だがそこには同時に、ある種のアンビヴァレントな感情を抱かざるを得ない。先に述べたような、「絵画」との比較において語りうる事、絵画との親和性の高さ―とりわけ明快な幾何学的造形性への志向は、現代の社会システムの均質性や管理機構の可視化であるとともに、周到に仕掛けられた罠でもある。

絵画的コンポジションへの近接、すなわち絵画へのある種の「擬態」をほどこすことによって、本来は光学機械による複製物である写真は自らを、高額で一点物の「アート」の方へと引き寄せようとする。そこでは、合成処理の精緻さや巨大プリントといった技術力の高さが、「質」の保証となる。

つまり、グルスキーの写真は、現代社会のスペクタクルな諸相と構造を批判的に写し取ったものであるとともに、多額の投資費用をかけて作られた、それ自体魅惑的な「商品」でもあるのだ(実際、2011年にはクリスティーズ・ニューヨークで《ライン川 Ⅱ》が430万ドル超[当時のレートで約3億4千万円]で落札され、オークションでの現役写真家作品の最高金額を記録した)。

そして、グルスキーの写真に頻出する「俯瞰」という視点もまた、欲望と深く結びついている。合成によってのみ可能となる、全てを掌握する俯瞰的な視点。それは擬似的な神の視点であり、実際にはあり得ない虚の点である。それは、一糸乱れぬマスゲームの全体が捧げられ、それを俯瞰的位置から見下ろす者の視点ではなかったか。そして、世界を等しく一望のもとに、滑らかな一枚の表面として写し取りたいという欲望が行き着く先が、衛星写真を元にした<オーシャン>シリーズである。

本シリーズに向き合う時に感じる戦慄は、海洋の底知れない深さの表現のみによるのではない。そこにはまさしく、「全てを等しく一望のもとに眼差したい」という私たちの欲望の視線が写し取られ、差し出されているからだ。

[開催概要]
アンドレアス・グルスキー展
国立国際美術館
開催中 ~ 2014年05月11日

Megumi Takashima

Megumi Takashima . 美術批評。京都大学大学院博士課程。現在、artscapeにて現代美術や舞台芸術に関するレビューを連載中。企画した展覧会に、「Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展:はざまをひらく」(2013年、京都芸術センター)、「egØ-『主体』を問い直す-」展(2014年、punto、京都)。 ≫ 他の記事

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