egØ-「主体」を問い直す-

何かが始まる予感!80年代前後生まれの新進気鋭の作家による自主企画

poster for EgØ— Reexamining the Self

「egØ - 「主体」を問い直す - 」展

京都府(その他)エリアにある
puntoにて
このイベントは終了しました。 - (2014-04-29 - 2014-05-11)

In フォトレポート by Tsuyoshi Yamada 2014-05-03

京都には、作家運営によるアトリエやスタジオが多数存在しています。そしてこの5月に京都駅南東に位置する元かばん製品の工場だった場所に、京都市立芸術大学を卒業したメンバーによって構成された共同スタジオ「punto」が誕生します。

本展覧会「egØ-「主体」を問い直す-」は、このスタジオのプレオープニング企画として開催されています。

展覧会タイトルの「egØ」は、「自意識、自我」を意味する「ego」と、「空集合(何も要素を含まない集まり、空虚)」を意味する数学的記号「Ø」をかけ合わせた造語で、発音が不可能なこの言葉は、現代日本における主体の捉え難さ、言い難さを視覚的に表現しています。「エゴ展」と展示作家の方々は呼んでいました。

この展覧会の特徴は、作家とキュレーターによる実行委員会によって自主企画された展覧会であるというところです。出品作家の10名は、バブル経済崩壊後の長期不況の閉塞感と、高度情報化社会のネットワークに囲まれて育った1980年代前後生まれで構成されています。展覧会タイトルで意味付けされているように、世代の特徴を「主体の不確かさ、曖昧さ」とし、それぞれの作家による「主体」のあり方を考察する展覧会となっています。

柳井信乃の作品は、1936年におこった阿部定事件がモチーフとなっています。仲居であった阿部定が、愛人の男性を殺害し、局部を切り取った事件で、事件の猟奇性ゆえに、当時の庶民の興味を強くひいた事件でした。柳井信乃は、この事件を綿密にリサーチし、当時の事件現場を同型の包丁を持ち、同じルートを歩くなどし、阿部定事件の狂気と心理を写し取るという作品を制作しました。

自分の体験や記憶などをモチーフとして描くことの多い厚地朋子は、個人的なものを描きすぎてお蔵入りにした過去の絵画作品3点を展示しています。今回の展示では、絵画をどのように展示するかについて考察し、絵画が壁の一部のように見えるように展示しています。ただ絵がそこにある状態を作りたかったと語る厚地朋子の言葉が印象的でした。

潘逸舟の作品《呼吸》は、自身のお腹の上に自分と同じ重さの石をのせて、呼吸をするというものです。石によって動かされているのか、石を動かしているのか、映像では作家自身は写っておらず、石がかすかに動く様子が流れています。

彦坂敏昭は、絵画をメディアとしてとらえ、作家自身が設定した構造のなかで、他者とコミュニケーションを図り、作品制作をしていくというスタイルを持っています。今回は自分の友人と祖母にある指示を与えて、それを繰り返していく中で生まれていくイメージの経過と結果を映像と制作物で表現しています。

宮永亮は、青森県の恐山をモチーフとして、ビデオアート作品を出品しています。この世とあの世の境目と言う印象が強く、スピリチュアルでおどろおどろしいイメージを持たれている恐山が、実は観光地化し、カラフルでビビッドな色彩がそこここに溢れ、きらきらとした側面も持ち合わせているという体験を元に、タイトルの《きわ》が示す「ものごとの境界」を映像化しました。

伊東宣明の作品は、自身が葬儀社で働いた際の新人研修を元に制作されています。芸術家になるための《芸術家十則》という規則を設定し、ある女の子が芸術家になるために、その研修を受けるという過程をドキュメント調にまとめた映像作品です。

菅谷奈緒の作品は、NHKラジオで放送される気象通報という番組を元にし、気象庁が発表する気象予報と海上保安庁から発表される海上自衛隊やアメリカ軍の軍事訓練の海域情報などを色分けし、アニメーション化しています。気象予報という日常と軍事演習という非日常が同一のメディアで扱われていることに着目し、平和と戦争の関係性を作品としました。

共有できないものを共有化することを試みている田中英行の作品《floating》は、海や石といった自然物を使い、現代の社会状況を比喩的に表現しているビデオインスタレーションです。画面に映し出される海の映像とフロアに配置されたガイガーカウンターと微弱な放射線を発する鉱石によりノイズの入る音声は、見えることのない不穏なものを「見せる」装置として機能しています。

二藤建人の作品は、作品タイトルのとおり、山頂に登り、そこに埋まり、空を触るというもので、写真作品と彫刻作品の2点が展示されています。自身がこれまで行ってきた「抱かれているものに抱きついてみる」というシリーズから「触れてみる」という行為へと移行した作品です。

中田有美の描く絵画には、一見法則性のようなものは見受けられないが、そこには文字の骨格をモデルとしたストロークが存在し、そのストロークの集積によって絵画作品を制作しています。

80年代前後生まれの作家10人による「主体」のあり方は、さまざまな手法、方法論、アプローチがあり、その多様性と共に共通項のようなものを感じ取ることができます。キュレーターである高嶋慈さんの「今回は主体という個人の単位でのテーマを設定しました。次回はさらに展開させたテーマを設定し、持続させていきたいです」という言葉に、今後も期待していきたい作家の新たな動きを感じました。

作家によるワークショップや関西の若手キュレーターによるトークなど展覧会関連イベントも多数用意されていて、盛りだくさんの内容です。関西の新しい作家スタジオと共に展覧会を楽しんではいかがでしょうか?


Tsuyoshi Yamada

Tsuyoshi Yamada . 東京都小平市生まれ、武蔵野美術大学芸術文化学科卒業。長らく武蔵野美術大学で、研究制作を続けて、その傍ら、美術展企画や舞台制作、ドキュメンタリー制作などに尽力を注ぎ、芸術と美術、作家と作品、ものつくりの世界に触れる。2013年京都に拠点を移し、デザインとアートの世界の周辺に身を置いている。株式会社モーフィング所属。 ≫ 他の記事

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