定本 樂歴代 ~樂焼四五〇年の歴史 伝統と創造~

革新し続けるという継承-長次郎から当代まで、「樂焼」の全貌をみる-

poster for “Raku Haritage – A Definitive Tale”

「定本 樂歴代」展

京都市上京区エリアにある
樂美術館にて
このイベントは終了しました。 - (2014-03-08 - 2014-07-21)

In フォトレポート by Emiko Kawamura 2014-07-15

京都御所の西、住宅が密集する油小路通に建つ樂美術館では、『定本 樂歴代 ~樂焼四五〇年の歴史 伝統と創造~』が現在開催されています。本展は、昨年春に出版された『定本 樂歴代』(淡交社)に収録されている作品を紹介する展覧会の第2弾です。樂焼窯元の初代長次郎から当代吉左衞門(15代)までの作品が一堂に会し、樂家450年余の歴史を一度に味わうことのできる機会となっています。

樂美術館は収蔵品のほとんどが樂家からの寄贈作品であり、またそれらが各当主によって後世のためにつくり残した「手本作品」であるという点に大きな特徴があります。樂家には制作における秘伝書などは存在せず、実際の作品を通して学びとるという伝承方法がとられ、伝統技法を受け継ぐ一方で歴代一人一人における独自の工夫が求められてきました。

※『定本 樂歴代』では初代長次郎から当代吉左衞門(15代)、そして次代後継者・篤人までの作品200点余を収録。現在における樂歴代を網羅した樂家概論ともいえる一冊です。

受け継がれてきたもの、受け渡していくもの

樂焼は信長や秀吉が生きた桃山時代、長次郎によって始められました。ルーツは中国明時代の三彩陶といわれ、長次郎もその陶工であったとされています。その後、侘茶大成者・千利休との出会いにより、長次郎の作風は利休による「佗茶」の思想と美意識を忠実に反映し、装飾性を一切排除した新たな表現へと切り開かれていきました。

長次郎がつくる器肌は「カセ肌」ともよばれ、土の質感を最大限に生かした素朴さと高い精神性を含んだ作風として確立されていきます。それは黒釉を使用した「黒樂」と土肌を生かした「赤樂」の2色によるモノトーン世界からなり、現在もその2色を基本とした制作が受け継がれています。長次郎以後は、彼と共に樂焼工房を営んでいた田中宗慶の子・常慶が樂家2代目となり、その子孫によって現在まで継承されてきました。

樂焼の大きな特徴のひとつに成形方法があげられます。手と篦(へら)のみで成形する手捏ね(てづくね)とよばれるもので、一般的な轆轤成形は行われません。円形に平たくのばした土を内側に向かってゆっくりと締め上げてつくる手捏ね技法は、茶をのむ時の茶碗に添える手のかたちを自然と生み出していくのです。

実子に恵まれないときは養子をとることで親から子へと確実に受け継いできた樂家。伝承された基本技術は正確で、特に手捏ね技法や一つずつ窯に入れて焼くという焼成方法は長次郎時代から変わらない姿で現在にいたっています。

また、樂家当主の重要な役目の一つに、3代後の子孫つまり曾孫のために使用する陶土を新たに見つけて保管するという仕事があります。それは昔、度重なる大火で土の焼失を経験したうえで考え出された対策だったとか。姿見ぬ曾孫のために、彼らにとっての相棒ともいえる土もまた各歴代によって脈々と守り受け渡されてきたのです。

※「樂焼」名称の由来
長次郎時代、「樂焼」という名称はなく「今焼」(いまやき)と呼ばれていました。(今焼かれている焼物という意味)秀吉が京都市内に建設した邸宅・聚楽第近くでかつて樂家が居住していたことや長次郎のつくる茶碗が「聚楽焼き茶碗」ともよばれたことなどから「聚楽第」の樂一字をとって「樂焼」となったといわれています。

※「樂姓」について
長次郎以来「田中姓」と「樂姓」の両方を用いていましたが、正式に「樂姓」を名乗るようになったのは明治以降とのこと。「吉左衞門」は樂家の基盤を固めた2代常慶の名で、常慶以後襲名されるようになりました。

400年以上にわたる各歴代の作品がひとつの展示空間に
        

本展の魅力は、何よりも初代長次郎から当代までの各歴代の作品をあますことなく鑑賞できる点にあるといえるでしょう。第一展示室には長次郎とともに樂焼工房を営んでいた田中宗慶、樂家2代常慶から当代吉左衞門までに至る歴代の茶碗がずらりと並びます。その佇まいには、各歴代が伝統と向き合いながら工夫を凝らし、自身だけの樂茶碗を求めてきた姿が映し出されているようです。

樂代きっての名工とうたわれた3代道入。長次郎死後から10年、2代常慶の長男として生まれました。長次郎がつくり上げた、装飾性を徹底的に排した重厚な世界観に対し、道入はさまざまな釉薬を使い分け、明るくて開放的ともいえる新たな表現を確立しました。

利休の理想にかなうようにその世界観の極みを目指した長次郎とは異なり、道入は自分自身の感性や個性を表現するための作陶、つまり「芸術家」としての焼物を目指したといえるでしょう。

本作は、長次郎がつくり出した「利休形」といわれる半筒形ではなく、胴部がゆるやかにゆがんだ逆三角形の器体に白土の色紙文様が映えた一作で、作者の豊かな感性と遊び心が感じられます。

了入は、病弱だった兄・8代得入から14歳で家督を継ぎました。大胆な篦作りによって装飾的で斬新な作風を切り開き、歴代中興の祖とよばれています。本作は、多彩な箆削りから現れる白い土肌が荒れた海の波しぶきのようにも見え、荒々しく動的な佇まいが印象的です。了入の作風は年齢によって大きく変遷したうえに使用印も替えたため、制作時期を推定することができるとか。本作は34~56歳の作といわれています。
       

展示作品を見渡したとき、各歴代に課せられた伝統の継承とは、かつて長次郎がその時代に生き、新たな創造を生み出し「今焼」とよばれたように、それぞれが長次郎や先代の模倣ではなく、時代とともに「今」を創造することであったのだと気づかされます。

伝統継承という重責を背負いながらも「今日のための」焼物を求めて制作してきた各歴代の姿は、陶工という職人の枠組みを超え、自分だけの表現を求めた「アーティスト」として私たちの目には映ってくることでしょう。

樂家総覧ともいえるこの機会に、お気に入りの歴代を見つけるのもよし。450年以上続く伝統の歴史に触れてみるのも一興です。

[参考]
佐川美術館 樂吉左衞門館
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/2014/04/tradition-1.html

1998年、当代吉左衞門が設計創案・監修によって建設。2000年以降の作品を収蔵し、常に当代の新しい作品を鑑賞できます。現在は「樂吉左衞門 Tradition -赤と黒-」(9/23まで)を開催中。

写真撮影(一部除く):川村笑子

Emiko Kawamura

Emiko Kawamura . 群馬県生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科卒業。京都の古美術商に勤め、日本近世~近現代におよぶ墨跡・絵画・工芸品等の商いの現場に触れる。それ以後京都を拠点に、洋の東西・古今を問わず美術という複雑怪奇な分野の周辺をねり歩き、観察を続ける。京都市在住。 ≫ 他の記事

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