PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015オープンリサーチプログラム10[連続レクチャー]眞島竜男「全体タイトルは思案中」

第2回「その公共性は誰のものなのか?:美術館、国際展、現代美術、アートについて(の2時間のレクチャー)」

In ニュース by Megumi Takashima 2014-11-03

PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015のオープンリサーチプログラムの一環として、参加作家の眞島竜男氏による連続レクチャーの第2回が行われた。同芸術祭の「オープンリサーチプログラム」とは、芸術祭の準備段階を観客と共有し、「考えるプロセスの一環をみせる」ものとして、参加予定作家や研究者などによるレクチャー、海外の国際展のリサーチなどを公開するもの。眞島氏による計4回の連続レクチャーは、2014年7月から2015年1月にかけて2ヶ月おきに開催される。

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第2回は、「その公共性は誰のものなのか?:美術館、国際展、現代美術、アートについて(の2時間のレクチャー)」というタイトルで開催され、近代化の過程における「美術」の制度化、〈統合〉としての「日本画」と〈分裂〉としての「洋画」、1940年代の「戦争画」、美術館における2種類の「公共性」、1990年代以降の「地域アート」「アートプロジェクト」における公共性の変化といった幅広い射程を含んで、日本の近現代美術における「公共性」について論じられた。眞島氏の作品は、資料のリサーチに基づきつつ、フィクションを織り交ぜて作品化することで日本の近代美術史を再考しているが、レクチャーもそうした芸術実践の一つとして位置づけられる。

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今回のレクチャーではまず、近代以前の諸流派を〈統合〉したものとして制度化された「日本画」に対し、印象派やキュビスム、シュルレアリスムなどヨーロッパの諸イズムが遅れて受容された日本では、1930年代の「洋画」は様々なイズムが横倒し的に林立した〈分裂〉として捉えられることが述べられた。そして1940年代には、いわゆる「戦争画」を描いた約8割が洋画家であり、様々なスタイルの林立状態にあった「洋画」が19世紀末ヨーロッパのアカデミズム、つまり歴史画へと〈統合〉されつつも、日本的精神への志向という意味で、内部に〈分裂〉を抱えたねじれたものとして捉えられた。

続けて、朴昭炫の著作『「戦場」としての美術館―日本の近代美術館設立運動/論争史』(ブリュッケ、2012年)を参照して、日本の美術館における2種類の「公共性」について述べられた。日本の近代美術は、国家が主導する官展を中心に、大小様々な在野の美術団体が団体展を開催する「展覧会ベース」で展開しており、コレクションを持たずに一時的な展示場として1926年に設立された東京府美術館や、同様の性格を持つ国立新美術館は、「美術家のための公共圏」を形成していた。これに対して、1952年に開館した東京国立近代美術館は、1930年代に批評活動を始めた批評家たちが設立に関わっており、「美術館人や批評家のための公共圏」を形成していた。

こうした2種類の公共圏・公共性が美術界を形作っていたが、特に1990年代以降、アートシーンのグローバル化や「地域アート」「アートプロジェクト」の増加によって、そうした従来の公共性が「変化」しているのではないかという問題提起がなされた。冷戦構造下までは、アメリカや西ヨーロッパといったそれぞれの文化圏に根差す形で美術の公共圏が作られていたが、90年代以降、国際展の増加や輸送が容易なビデオアートの増加によって、アーティストやキュレーターのモビリティが高くなり、グローバルなアートシーンを形成していく。その結果、各地の国際展やレジデンスを巡回していく「移動するアーティスト」像が形作られるとともに、言説の影響力に加えてモビリティの高さを備えた「キュレーターの時代」が到来した。また、このように世界各地で国際展やマーケットが形成され、アーティストやキュレーター、批評家が巡回していくというグローバル化した美術実践においては、中心性が曖昧になり、各地域の固有性が相対化されるとともに、これまでアーティストや美術館が担ってきた公共圏の固有性・特殊性が機能不全に陥ってしまう。

特に、近年盛んな「地域アート」「アートプロジェクト」におけるアーティストとは、交換可能な存在でしかない。そこで実践される行為がある地域の人々の暮らしをより豊かにし、経済的に高め、公共性に奉仕するのであれば、行為の担い手は「アーティスト」であってもなくても構わないからだ(とりわけプロジェクト型の作品の場合、地元の人々などの「ボランティア」が制作行為を担うこともしばしばである)。従って、「『地域アート』におけるアートの公共性は誰が担っているのか?」が今問われなければならない。アーティストや批評家、美術館がこれまで担ってきた公共圏への危機意識が現れたものとして、藤田直哉氏の論考「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」(『すばる』2014年10月号)と、ソーシャルメディア上での反応が紹介された。そして、反動としてアーティスト至上主義が出てくるかもしれないが、重要なのは、様々な発言や行為が並列・共存関係にあり、互いに尊重し合ってコンテンポラリーなものを構築していけるかどうかであるということが結びとして述べられた。

眞島氏の今後のレクチャーは、第3回「『ぶんてんていてんかいそていてんしんぶんてんにってーん(仮)』、『北京日記』、『鵠沼相撲・京都ボクシング』、『日本近代美術/楽しき国土』:眞島竜男の作品について(の2時間のプレゼンテーション)」が2014年11月19日に予定、また、第4回「フィールドとコンポジション:京都という場所と『PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015』について(の2時間の○○)」(仮)が2015年1月に予定されている。

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PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
http://www.parasophia.jp/

会期:2015年3月7日(土)~5月10日(日)
会場:京都市美術館、京都府京都文化博物館ほか

オープンリサーチプログラム12
[レクチャー] ルイーズ・ローラー
日時:2014年11月19日(水)15:00–16:30(14:30開場)
会場:京都国立近代美術館 1階 講堂
*申込不要、入場無料
http://www.parasophia.jp/events/2014_orp_12_louise_lawler/

Megumi Takashima

Megumi Takashima . 美術批評。京都大学大学院博士課程。現在、artscapeにて現代美術や舞台芸術に関するレビューを連載中。企画した展覧会に、「Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展:はざまをひらく」(2013年、京都芸術センター)、「egØ-『主体』を問い直す-」展(2014年、punto、京都)。 ≫ 他の記事

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