EXPO’70観光ポスター展

45年前の大阪万博にタイムスリップ、EXPO’70パビリオンツアーへようこそ!

poster for Expo ‘70 Tourism Posters

「EXPO’70 観光ポスター」展

万博記念公園エリアにある
EXPO '70 パビリオンにて
このイベントは終了しました。 - (2015-01-29 - 2015-03-10)

In フォトレポート by Reiji Isoi 2015-03-05

大阪の万博記念公園にあるEXPO’70パビリオンに行ってきました。

日本が高度成長期の只中、1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博、EXPO’70)は、20世紀最大規模の国家的イベントとうたわれ、その成功は戦後日本の復興の象徴、日本が経済大国に発展したいしずえなどとも云われています。

およそ100万坪の広大なエリアに、77カ国4国際機関が参加し、183日間で6,421万8,770人もの人が入場したという、壮大なスケールの祝祭イベントの記録をEXPO’70パビリオンにて公開しています。アジアで初めての開催となった万国博覧会とその意義を後世に伝える資料館として、大阪万博の開催40周年記念事業として2010年にオープンしました。館内には、万博開催当時のパンフレット、関係者や市民による寄贈品のほか、写真・映像などの資料約3000点を展示しています。

現在EXPO’70パビリオンとなっている建物は、大阪万博開催当時は鉄鋼館として運営されました。当時のパビリオン建築で、現存する数少ないもののひとつです。スペースシアターと呼ばれるホールを中心とした建物で、総合プロデューサーには前川国男、公演プログラムプロデューサーには武満徹が携わり実験的な音響空間を奏でるパビリオンとして公開されました。

ル・コルビュジェの弟子として建築を学び、現代音楽の分野でも活躍したイアニス・クセナキスが、サウンド・スカルプチャーとも呼ばれる音響設計を駆使し、音を完全に記号としてのみ捉えるように構成された作品「ヒビキ・ハナ・マ」や、宇佐見圭司によるレーザーを主体とする空間装置「エンカウンター’70」ほか、武満徹、谷川俊太郎らによるテープモンタージュ作品などのプログラムが上演されていました。

しかし、演目が大衆には馴染みのない現代音楽ともあり、宇佐見氏は「このホールを文字通り通過する数十万に及ぶ人々の黙殺という洗礼を受けなければならなかった」と発言しています。また西ドイツ館でも、ユニークな音響設計に基づき、球形ドーム内に大量のスピーカを設置したオーディトリアム(音楽堂)を公開しました。そこでは現代音楽の大家カール・シュトックハウゼンが半年程滞在し、日夜実験的な音楽を奏でていたそうです。鉄鋼館、西ドイツ館ともに、どんなサウンドが鳴り響いていたのか想像がふくらみます。

ホールの周囲の回廊には、万博開催当時の様子を伝えるインフォグラフをはじめ、写真、映像、ホステスのコスチュームなど関連資料が常設展示されています。豊富な資料からは、広大な千里の丘に、斬新でアヴァンギャルドな様相のパビリオンが林立し、世界中からの人々が集い賑わった祝祭空間の熱気が伝わります。横尾忠則、草間彌生といった著名な美術家が、企業とコラボレーションしパビリオンのデザインや舞台美術を手掛けていた様子なども参照できます。

大阪万博の企業パビリオンや展示装飾に駆り出された芸術家、音楽家、建築家、デザイナーたちの中には、万博のテーマプロデューサーを務めた岡本太郎を含め、万博以前から反近代、反体制をスローガンに掲げて活動していた者も多く、このことから「前衛のお祭り」とか「先鋭芸術の巨大な実験室」とも言われていたそうです。既存のシステムに対して変革や破壊を促す存在の前衛芸術が、国家事業の表舞台に活躍の場を与えられた背景には、当時右肩上がりの経済成長の中、日本企業はさらなる進歩と拡大を求めており、前衛芸術は企業にとって未来への進歩をヴィジョンとして提示するのにふさわしいと見られていた状況もありました。これほど大規模な国営事業の祭典が前衛的なクリエイターたちの舞台となったことでも、大阪万博は希有なイベントでした。

国際的には冷戦下にあった米ソ間で政治、経済、技術、文化だけでなく宇宙開発でも熾烈な競争が繰り広げられていた時期でした。大阪万博では、アメリカ館は床面積で、ソ連館は高さで、それぞれ最大規模のパビリオンを建設するなど、大国が互いに国力を誇示し合うという側面もありました。アポロ計画により人類が初めて月から持ち帰った石を展示していたアメリカ館に来場客が殺到するなど、米ソの各パビリオンともに大きな注目を集め、入場するのに4,5時間待ちという程の長蛇の列が出来ていたそうです。アメリカ館のエアドーム構造は、その後東京ドームを初め、世界中で使用される建築技術として普及しています。

ほかにも、電気自転車、電気自動車、携帯電話、テレビ電話、歩く歩道など、現在普及している技術・製品も、万博当時には画期的な次世代の製品として紹介されていました。カプセルホテルの基となったカプセル住宅のコンセプトも、メタボリスト・グループを主導した建築家黒川紀章によって大阪万博で発表されたものです。

回廊の一角では、企画展示として70′ ポスター展が開催されています。万博は、参加各国にとって、自国の産業や文化の紹介のほか、観光誘致を国際的にアピールできる機会でした。現在のように多様なメディアを通じて豊富な情報が得られる状況とは異なる当時、各国ともより魅力的な観光イメージを打ち出そうと制作されたポスターの数々が展示されています。中には、現在とは大きく異なるイメージの国のポスターもあり、デザイン、国際情勢ともに時代の変遷を写す興味深い展示となっています。

国際博覧会協会の定めにより、鉄鋼館や太陽の塔など一部を除き、パビリオンは半年以内に撤去され、万博跡地は現在万博記念公園として人々に親しまれています。EXPO’70パビリオンの展示を観た直後にも関わらず、広大な敷地の万博記念公園を見渡すと、約半世紀前にそこで実際に起こった大阪万博の出来事がフィクションであるかのような感慨を覚えます。同時に、岡本太郎が語った「世界中のエネルギーをつぎ込む万博は、ただのお祭り騒ぎではない。1970年時点での人類文化の姿を浮かび上がらせ、そこから新しい文化の歴史が開かれてゆくエポックを築くのだ。万国博以前と以降で、人間像自体が変化すべきだと考える」という言葉が真に迫ります。大阪万博は、実際にそれを体験した世代の人々だけでなく、その後の世代にも、世の中や人間像の変化を考えさせるほどの歴史的インパクトを持つイベントだったことを実感します。

大阪万博の記憶を伝えるランドマークとして万博記念公園の入り口にそびえ立つ太陽の塔は、その内部が長らく公開されていませんでしたが、2017年3月に公開される予定で、現在も改修作業が行われています。「人類の進歩と調和」をテーマに、日本の高度成長期に開催された世紀の祭典、当時の人々が思い描いた未来に想いを馳せる散歩はいかがでしょうか?

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開催概要:「EXPO’70観光ポスター展」
会場:EXPO’70パビリオン内特設コーナー
日時:1月29日(木)~3月10日(火)
開館時間: 10:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週水曜日 (水曜日が国民の祝日の場合は翌日の木曜日)※ただし、4月1日からGWまで、10月1日から11月30日までの間は無休
入館料:一般200円、中学生以下無料、団体(20人以上)160円、団体(200人以上)140円
場所:万博記念公園 自然文化園内
運営:一般社団法人 関西環境開発センター
詳細:http://www.bmkkc.or.jp/expo70pavilion/

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Reiji Isoi

Reiji Isoi . 1978年生まれ。00年代前半より音楽業界を中心に写真の撮影活動を始め、音楽・美術・文芸誌に写真・インタビュー記事等を寄稿するほか、映像撮影・制作の仕事に携わる。仲間と突発的に結成した『宇宙メガネ』からも不定期に発信することがある。各地で起こる皆既日食、米国のバーニングマン、インドのクンブメーラ祭、古代遺跡でのイベントなど、津々浦々で出会う作品や表現者たちとの交流を通じ、森羅万象の片影を捉えようとカメラを携え日々撮り続けている。 http://razyisoi.jp/ ≫ 他の記事

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