ダンサー・振付家 笠井叡氏インタビュー

6人の女性ダンサーの身体を通して、今の時代を舞台上で見せる

In インタビュー by Megumi Takashima 2015-04-13

笠井叡さんは、1960年代に若くして土方巽や大野一雄と出会い、数多くの舞踏公演を行うとともに、舞踏研究所「天使館」を主宰し、多くの舞踏家を輩出してきたダンサー・振付家です。笠井さんの新作ダンス公演『今晩は荒れ模様』が、2015年4月25日に京都芸術劇場 春秋座で上演されます。この作品は、笠井さんが構成・振付・演出を担当し、ご自身の他に、上村なおか、黒田育世、白河直子、寺田みさこ、森下真樹、山田せつ子という現在の日本のコンテンポラリーダンスを代表するといっても過言ではない、6人の女性ダンサーが出演します。この新作公演について笠井さんにお話を伺いました。

時代とともに現れてくる身体のあり方

―新作『今晩は荒れ模様』について、作品の構想や今考えておられることについてお伺いします。

私が土方巽さんの舞踏公演に出た『澁澤さんの家の方へ』という作品が、今から50年前なんです。私がこの50年間踊ってきたことは一体何なのかということを、この作品をつくっている時に改めて意識しました。
50年間、様々なダンスの活動を通して、色々なダンサーを見て振付けてきた中で、どういう作品が生まれたかだけではなくて、その時代ごとに現れてくる身体性があると感じています。美術の世界でも、時代とともに現れてくる作品のあり方があると思います。例えば、インスタレーションと呼ばれる作品は100年前にはなかったし、マルセル・デュシャンが便器に《泉》というタイトルを付けてレディ・メイド作品にしたことは、やはり何らかの意味でその時代を背負っている。つまり、作品と時代はつながっているんです。

そういうことをダンスで考えると、ダンスの作品と歴史がどうつながっているかということ以前に、その時代によってダンサーの身体がすごく違うということを、最近、感じています。ですから、「どういう作品ですか」と聞かれると、今の時代を一番感じさせる身体のあり方がテーマだと思います。特に今回は、6人の女性ダンサーの身体を通して現れてくる今の時代を、舞台上で見せたいと思っています。

―出演ダンサーが女性ばかりというのは、意図的な選択なのでしょうか?

はい。一昨年の前作は、男性ダンサーばかりの作品でした。その時、自分も相手も男性だから、共通の身体感覚を持っていることを前提にして作っていたことに、後から気が付いたんです。例えば、ある動きをする時の力の出し方やイメージの持ち方は、男性だったらこうだろうなと想像がつく訳です。ところが女性の身体は、私には分からない部分がたくさんあって、どういう経路からこの形が生まれてくるのか、ということにすごく興味があります。また、女性は、子どもを産んで育てる間、ダンスができなくなる場合があります。そういう可能性も含めて、私にとって女性の身体は謎なんです。

男性の身体の場合だと、お互いの共通項を前提にできるけれども、女性の身体の場合には、分かっているところを共通の前提にできないということが、振付ける上で違ってきます。その意味では、女性の身体の本質的な力を出すということもテーマの一つです。

6人の出演ダンサーそれぞれの身体性

―6人の出演ダンサーは、笠井さんの目にはどう映っていますか?チラシでは、一人一人に刺激的なキャッチコピーを付けておられますね。

この6人の女性ダンサーは、一人一人、全然違う身体と感性を持っています。ですから、6人それぞれに対しての振りの付け方は、皆違うと思います。

上村なおかさんは、「童女と老女、破壊的静謐を孕む迷宮のダンサー」。子どもと老女が重なって一体になっている身体なんです。老女には女性性を超えてしまうところがあって、そういう謎めいたところに興味があります。あと、老女になると、拒絶しない。「いいですよ、何でもOK」という、全てを受け入れる海みたいな深さを老女は持ち合わせています。実際、上村さんから「嫌です」という言葉を聞いたことがない。一方で、上村さんは何にでも驚く、すごく新鮮な眼を持っている。この二つが共存することがすごいなあと思っています。だから、上村さんのそういう身体性がそのまま出れば、もう何も表現する必要性はない。それは私から見たら男性が持たないものなんです。

黒田育世さんについては、「感性を根こそぎにする過激さの中で」という言葉を書きました。黒田さんの持つ激しさは、男性が持っている闘争的な激しさではなくて、自分をさらけ出す圧倒的な激しさなんです。例えば、黒田さんのダンスカンパニーのBATIKの『花は流れて時は固まる』という作品では、男性でもためらうような高い所から飛び降りたりしていました。また、去年に黒田さんが「春の祭典」を振付けた『落ち合っている』という作品は、子どもを産んだ後につくった作品です。それを見て、女性というよりも母親の持つエロティシズムを感じました。例えば、踊りながら上半身を脱いで、子どもに乳房を吸わせながら、観客に向かって笑うんですが、その笑い方が普通じゃなくて、挑戦的なんです。「あなたたち男の人にこんなこと出来ますか?」みたいな挑発をするんです。その挑発性が表現と結びついているところが、黒田さんの激しさだと思います。

次に、白河直子さんについて言うと、この人の身体は慈悲でいっぱいなんです。踊りを通して自分の身体を宇宙に捧げている。表現として見せるというよりも、本当の供儀の仕方をするんです。純粋に踊りのために、かけがえなく踊るために生まれてきたような人です。普段、街中を歩いていると普通の女性に見えるのですが、踊り始めると、自分の身体が消滅していく人ですね。それで彼女については「存在自体奇跡」という言葉が浮かびました。H・アール・カオスの作品では、大島早紀子さんの演出で、高い所からロープで吊られたり、非常に衝撃的な演出の中で踊ってきた人ですが、白河さん本人は、黒田さんのような挑発タイプではありません。エロティックなことをやりたいという欲求もあまりなくて、ただひたすら踊ることが好きという感じをうけます。

次に、山田せつ子さんについては、「独断的に輝きつづける意志」と書きました。山田さんは、私が設立した天使館という舞踏研究所で、8年間の活動期間全てに出たダンサーです。山田さんは、天使館に来て最初の一年間は、周りが皆踊っている中で、ただ壁のところでじーっと立って、目の玉だけを動かしていました。なぜ一年間動かなかったかというと、普通は、動こうとする意志と身体を動かすことは一体になっている訳ですが、彼女にとってその二つは、全然別のことだったらしいんです。ですから、どうやったら、動こうとする意志が、動きという現実に結びつくのかということを、一年間ずっと立ち続けながら考えていたのだろうと思います。

彼女は普段、無意識に日常的に動いている限りは、ごくごくよく動くタイプの人なのですが、普段はできることが、踊ろうとして意識的に動こうとすると、思考と運動が結びつかなくなるんです。つまり、日常生活では思考と動きが分断されていないのに、ダンスをしようとすると分断されてしまう。ですから、彼女のダンスは、どこが普通の人と違うかというと、ダンスが違うのではなくて、意識的に動くという、その身体の使い方が普通の人と全然違うんです。

山田さん以外の出演者は、意識的に身体を動かすことにおいては、何ら分裂はないんです。でも彼女の場合、意識して身体を動かそうとした瞬間から、思考と運動が離れていく、しかもそれが精神病とか身体障害ではなくて、つながっている。ですから彼女にとっての踊りは、いかにその間を納得いく形で埋めていけるかということが、ずっとテーマだったと思います。
彼女を振付ける時、私の与えた指示通りには絶対に動きません。例えばリズムが崩れてしまう。なぜ崩れるかというと、思考と運動の間に溝ができるからです。だから私は、その溝を振付けないといけない。他の出演ダンサーを振付ける場合は、だいたい私の分身的な身体がそのダンサーのところに行きます。ところが山田さんの場合には、私の分身としての動きが彼女のところには行かないんです。

次に、森下真樹さんは、「無慈悲と慈悲のまなざしの中にイロニーを持つ」人です。すごく冷めたものの見方をする女性で、この6人の中では一番、客観的に世界を眺めていて、自分に対する向かい方が、他人のように向かう人です。どのようにでも自分の身体を扱うことができるという意味では、山田せつ子さんと対照的です。歌を歌ったり台詞をしゃべりながら踊ったりとか、優れたアイデアをたくさん持っている。その意味では、普通のダンサーよりも、面白いことを見出すのが好きな人で、子どもと一緒に踊ることもすごくうまい。
あと、客観的に世界を見るということは、別の言い方をすると、アイロニーを持っているということです。つまり、批判的だけれども面白さを持って世界を見ている人です。そういう冷めた側面と、反対にものすごく温かい側面と、両方持っていて、その兼ね合いがすごく面白いダンサーです。

最後に、寺田みさこさんは唯一、関西のダンサーです。寺田さんについては、「クラシカルな陶器的身体に、無限の舞踏的カオスを呼吸している」と書きましたが、振付けていても、いまだにどういう人なのか分からない部分があります。「クラシカル」という言葉を使ったのは、彼女がクラシック・バレエで踊る身体をつくったから。寺田さんの身体の持っている美しさというのは、ある種の形式の中で磨き上げた美しさです。そして、空間の作り方が他の出演ダンサーとは違って、外に発散しない人です。ダンサーには、発散タイプと吸収タイプがあって、黒田さんや白河さんはどちらかというと、舞台から客席にオーラを発散するから、見る側はそれを受け取る喜びがあるのですが、寺田さんは見る人の視線を吸収してしまうんです。視線がブラックホールに吸い込まれるような感じです。普通は、舞台上で表現しようとすると、何らかの意味で発散しようとするのですが、彼女は無意識でも発散しないんです。その部分が、私にとっては謎なので、彼女についてもっと知りたいと思っています。

―作品の構成としては、それぞれのソロを見せるのでしょうか?

ええ、ほぼ全部ソロです。
順番で言うと、まず黒田さん、その次に寺田さん、それから黒田さんと寺田さんのデュエットです。音楽は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番という有名な曲です。その次に、上村さんと森下さんのデュエットで、アルフレート・シュニトケというドイツの作曲家の曲を使います。3番目が白河さんのソロで、マーラーの交響曲第五番という有名な曲を使います。その次に山田さんのソロで、現代作曲家の柏大輔という人の曲です。最初と最後に私が踊って終わるという構成です。

身体格差の時代

私のダンスの傾向として、時代が踊っているという感覚があります。例えば太平洋戦争の時ならば戦争も一つの踊りであって、いつの時代でも時代そのものが一つのダンスをしているという感じがするんです。だから、私が踊るということと、時代全体が踊っているということを結び付けたい。その意味で言うと、新聞もテレビも一切の外界を遮断してひたすら稽古場の中で純粋な身体だけをつくるということは、あまりありません。もちろん、一人一人の身体性が表現の対象になりますが、ではそれを通して何をするかというと、やはりその時代全体が舞台上に表現されていないと面白くないと感じています。

今、経済格差という言葉がありますが、今の時代に問題になっているのは、身体格差がものすごくひどい時代になってきていることだと思います。経済格差と同じくらい、身体に対する意識の差が、埋めようがない幅になってきています。なぜダンサーが身体に向かおうとするかと言うと、自分が身体を持ったことに対して、自分なりに答えを探したいと思っているからです。身体を持って生まれたことに対して、どれほどの意識を注ぎ込むことができるかに懸けている人間がいる一方で、自分が身体を持っていることにほとんど注意を向けない人間がいる。それは、身体格差であると同時に、意識の格差があまりに大きくなってしまった時代だと感じています。そういうことも含めてダンスと時代との関係を考えています。今は機械が何でもやってくれるから、ダンサーだけではなくて、人間全体が身体との向き合い方を真剣にオリエンテーションしないといけない。意識的に身体に向かうということが、今の時代には緊急の課題だと感じています。

―実際に、笠井さんが踊られている時は、身体に対してどのような意識を向けておられるのでしょうか?

自分の個的な身体の隅々まで意識するという側面と、共同体に属する部分を意識する側面との両方があると思います。身体というのは個人に属する一方で、民族や文化などの共同体に属するものでもある訳ですから。ダンサーが踊るということは、その両方の部分に橋をかけるということでもあると思います。

その時に、どんなに一人一人のダンサーが意識的な身体をつくれたとしても、日本人全体がひどい身体格差で、身体に対して全く意識的に関わることができなくなってしまっていて、共同体的な身体が壊れていれば、自分の身体も壊れてしまう。ですから、ダンスというのは、共同体的な身体から離れたところで成立するのではなく、全員に関わる問題だと思っています。

【プロフィール】
笠井叡
昭和18年11月生。三重県出身。明治学院大学経済学部卒業。ドイツ留学。シュトゥトガルト・オイリュトメウム卒業。モダンダンスを江口隆哉に師事、クラシックバレエを千葉昭則に師事、63年大野一雄に出会い師事。63年土方巽に出会い、「澁澤さんの家の方へ」「トマト」等の作品の出演。71年、天使館設立。「磔刑聖母」「舞踏への招宴」「稚児之草子」等の初期の作品発表後、79年から十数年間舞台活動中止。90年オイリュトミーシューレ天使館設立。93年「鏡の性器を持つ私の女」で舞台活動再開。ベルリン・ローマ・ニューヨーク等で作品制作。01年「花粉革命」を初演し、その後、当作品を北南・ヨーロッパ各都市・韓国等で上演する。ソロ作品以外に大野一雄・木佐貫邦子・伊藤キム・荻野目慶子・大野慶人・BATIK等との共演作品。
著作に『天使論』『聖霊舞踏』『神々の黄昏』(現代思潮社刊)、『カラダという書物』(書肆山田刊)、写真集に『ダンスドゥーブル』(河出書房刊)、『銀河革命』(現代思潮新社刊)。

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2015年4月25日(土) 15:00(14:30開場)
京都芸術劇場 春秋座
http://www.k-pac.org/index.html

一般     3500円
友の会    3000円
シニア(60歳以上)3200円
学生&ユース(25歳以下)2000円

チケット取扱い
●京都芸術劇場チケットセンター TEL 075-791-8240(平日10時~17時)
●劇場オンラインチケットストア ※要会員登録(無料)
http://www.k-pac.org/ticket.html
●チケットぴあ http://t.pia.jp/
●イープラス http://eplus.jp/sys/main.jsp
●京都・滋賀各大学生協プレイガイド
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Megumi Takashima

Megumi Takashima . 美術批評。京都大学大学院博士課程。現在、artscapeにて現代美術や舞台芸術に関するレビューを連載中。企画した展覧会に、「Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展:はざまをひらく」(2013年、京都芸術センター)、「egØ-『主体』を問い直す-」展(2014年、punto、京都)。 ≫ 他の記事

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