いわゆる「抽象絵画」を味わう鑑賞者には、目に入るやいなや「分かった」と飲みこんで足早に去る人もいるし、なめるように視線を転がしながら細部まで吸いつく人もいる。お勉強のように「アメリカ抽象表現主義とは」と分類づけることも必要かもしれないが、分かりにくいモノとか珍妙(けったい)なモノと片付けることもできる。
今回の展覧会場入口には、バーネット・ニューマンの紹介ビデオが流れている。それによると、ユダヤ系移民の子としてニューヨークに生まれたニューマンは、ニューヨークの美術学校で学んでいる。第二次世界大戦が終わりを告げ、アートの中心がパリからニューヨークに移ったころ、ニューマンの年齢は50代。ポロックやロスコらと「アメリカ抽象表現主義」の中心的存在として活躍したこと、さらに今回出展された作品の背景を知ることができる。
この紹介ビデオの中で引用された、ニューマンの言葉が私の心に引っ掛かった。
「私は自分がアメリカの画家だと感じています。(中略)このような一人のアメリカ人であるという点を、私の作品が乗り越えることを望んでいます」
2015年の現在よりも、1960年代のアメリカは活気があり、夢にあふれていただろう。ニューマンは、そんなアメリカ人であることを自覚し、根っからのニューヨーカーとして育った。そして第二次世界大戦を機に「それまで誰もが描いてきた、花や風景などのいわゆる「美しい」とされる対象物を描くことと決別」し、作品の内に秘められた精神的なものを追求する画家となった、という。
日本人である私に、キリスト教の教えをきちんと理解しているか、ニューマンが表現した崇高さを追随できているか、と問われると、間違いなく戸惑う。同時に会場に入って来たおじさん集団が「ああ」とだけ口にして去るので、私は見入ってしまう必要性さえ疑ってしまう。しかし、何かを読み取ろうと目をこらした。キャンバスの横にはみ出た絵具のタッチ、きれいにマスキングされた線と震えたる線の違い、マグナ、油絵具、アクリルといった異なる素材を用いたことなど、目に入る情報から「見えない何か」を知りたい、という鑑賞上の欲望に駆られた。
上記の展示風景画像は、MIHO MUSEUMの展示風景ではない。だから実物を見てほしい、と言っているのではない。
今回のMIHO MUSEUMでは、《存在せよII》を含む連作《十字架の道行き》の全15点が、壁面をぐるりと取り囲むような構成で並んでいる。制作年順に1から番号が振られた《十字架の道行き》は、順番に見たからといって何か関連があるわけでもなく、しかしながら空間全体をインスタレーションとして並べたような雑さは感じられない。しばらく眺めて見る。
ニューマンが《十字架の道行き》についてどうとらえていたか知らないが、私には「何か問い掛けをする絵画」というよりも、「すべてを悟った絵画」のように思えた。それは、お地蔵さんに手を合わせたときのような安らぎ、とも言い換えたほうが私の気持ちに合っている。
いくらニューマンが「絵画の概念がなかったところまで立ち戻り、毎日初めて絵を描く気持ち」で取り組んだとしても、どんなひとでも50代になれば、人生をある程度悟るだろうし、自身の終わりも考え始めるだろう。ニューマンは心臓発作で入院した翌年から、この《十字架の道行き》の《第一留》と《第二留》を制作し始めている。
アーティストも人間であること、彼らアーティストが作品を遺すこと。そして、時代や国を超えて、作品を見せられたとき、私たちは何を感じるだろうか。「ああ」と立ち去ったおじさん集団は、理解できないとか何を描いているか分かりにくいという意味だとしても、作品が瞬時で何かしらのインパクトを彼らに与えたのだ。果たして、あなたは何を感じるだろうか。
【概要】春季特別展 バーネット・ニューマン ―十字架の道行き―
【会場】MIHO MUSEUM
【会期】2015(平成27)年3月14日(土)―6月7日(日)
【開館時間】10:00~17:00(入場は16:00 まで)
【公式サイト】http://www.miho.or.jp/japanese/index.htm