展覧会のタイトルは、どのくらい人を引き付けるものなのだろうか。アーティストの名前が冠される展覧会では、そのネームバリューによって集客数/層が異なるのかもしれない。細見美術館で開かれている「杉本博司 趣味と芸術―味占郷」を、杉本博司の写真が並ぶ展覧会だ、と行く前から決めつけるのはよろしくない。だって細見美術館ですもの。
私たちはアーティストについてどれほど理解しているのか
今回の展覧会では、掛軸のような「平面」と仏像のような「立体」が「一組」で展示され、それらが3フロアに25組展示されている。
この組み合わせに向かって、いちいち手を合わせて「ははぁ」と一礼したくなる。けれどここは美術館、「これ杉本さんの展覧会だったよね?!」とハッとするまで、しばし。同時に「置かれている品々の、清らかさといいますか、静けさといいますか、この感覚が杉本ワールドだったのね!!」とも気が付くだろう。
美術評論家からブロガーまで、「杉本博司の写真の世界観が」と語る昨今。ひとつの、あるいはある時期やシリーズの作品を見て、「このアーティストはこういう人だ、だからこういう作品が生まれた」と語ってしまいがち。しかし私は、この展覧会をぐるっと見ただけで、彼らが語っていた世界観とは違う世界が繰り広げられている、何を決めつけて口にしていたのだろう、と感じた。私たちは、いったいアーティストのことをどのくらい知っているのだろうか。アーティストがどういうものを好きか(美学でいう趣味判断)を把握できる機会はめったにないからこそ、この展覧会は杉本博司の美意識、つまり作品の源を知ることができる絶好の機会なのだ。
モノとしての作品なのか作品としてのモノなのか
私の場合、展示室を移動する階段を下りながら心の整理をしていくとき、混乱し始めた。「展示を見ていて、杉本さんの美意識はシェアできた。でもなぜ展覧会タイトルに『杉本博司』と付いているのだろう?置かれている空間を杉本さんの作品とみなすのか?でもでも、並んでいるモノそれぞれはその時代の名品だし、ここは博物館じゃないし」うんぬん。
私の混乱に、さらなる質問が投げ掛けられた。
これまでの「平面」と「立体」に、現代美術アーティスト須田悦弘がつくった、ささやかな草や花たちがからまっている。「須田さんの近作が見られてうれしい」という個人的感情はさておき、「いいですね」「きれいですね」なんて表面的なほめ言葉もさておき。置かれているモノひとつひとつが作品であり、その作品が組み合わさってまたひとつの作品となり、モノとして置かれて、ショーケースにきれいに収まっている。やがて、展示空間に居る私自身が「異物」に感じてきた。
展示室を出て、3階の茶室「古香庵」へ。杉本博司の写真作品に、ようやく会うことができた。
時期によって、見ることができる作品は限定されるので、公開スケジュールは細見美術館ホームページ
をチェックいただきたい。お抹茶をいただきながら、杉本作品を愛でるとき、今まで持っていた感覚とは違う杉本ワールドを再確認できた。同時に、心地よい五月の風を感じながら「ああ、世界とつながっている」と実感することができた。
【展覧会名】杉本博司 趣味と芸術―味占郷
【会場】細見美術館
【会期】2016(平成28)年4月16日(土)~6月19日(日)
【公式サイト】http://www.emuseum.or.jp/