川島慶樹インタビュー

アーティストとして生きること

In インタビュー by Chisai Fujita 2016-09-26

これまで私は仕事柄もあるが、いろいろなアーティストにインタビューを試みてきた。それをリサーチというとかっこいいが、必ずしも研究目的ではなくインタビューを取っている私は、それを「生きているアーティストの思考回路を探る好手法」ととらえている。今年のはじめ、私が書いた愛知県立芸術大学の紀要論文を読んだ川島慶樹は、「僕の話も聞いてくれ」と言ってきた。今回のインタビューは、それから半年以上たった今月、川島が「MONTHLY 町家GUTS」で展示をした際にヒアリングしたものである。

川島慶樹から見た1980年代のギャラリー事情

川島慶樹(以下、川島)が大学に入った1980年と、現在2016年のアートシーンを比べたとき、大きく違うことのひとつに「ギャラリー(あるいは画廊)の仕事内容」が挙げられよう。いま日本に限らず世界各地でギャラリー(あるいは画廊)というと、作品を売ったりアートフェアに出展するコマーシャルギャラリーや、企業が運営するメセナ系ギャラリーが多い。しかし川島が20代だった1980年代の日本でいうギャラリー(あるいは画廊)は、場所代を払う貸画廊、オーナーが作品や作家をセレクトして展示内容を企画する企画画廊、さらに美術品を売買するだけの画商業を指した。

川島「僕は大学生になって、いろいろな場所に足を運びました。大阪では、ギャラリー白や番画廊といった企画展をする貸画廊が生まれました。こうした企画展もする画廊で展示することが、アーティストとしてひとつのステータスであり、そこに集まる人たちによって最新の美術の動きを感じ取ることができる、と感じていました」

時代に一石を投じた川島慶樹の作品

当時の作品はもの派(あるいはポストもの派)の流れを組むような、つまり木や石、金属といった素材や物質感に重点を置いたものが多かった、という。そんな風潮の中、川島はギャラリー白で展示をすることになる。1983年、川島が21歳、大学3回生のことだ。

川島「当時のギャラリー白は、階段を上り下りしなくてはいけないビルの中にありました。その階段の壁に、若手作家の作品を展示するという企画があり、僕に声が掛かったのです。今思えば、階段脇のただの壁に作品を置くなんてと思われそうですが、ギャラリー白へ行く人なら、必ずその壁を見ることになります。実際この作品を見た人たちから次の展示の話があったり、僕にとって次のステップを踏むきっかけになりました」

それまでの作品に比べて川島の作品は、無機質な印象を持たせるのではなく着色をして明るく見せたこと、木と金属のような異素材を組み合わせたこと、大きさ(サイズも量感も)大きいことなどで、一躍注目を浴びた。

美術がアートになっていく90年代と川島慶樹

1980年代の関西には、いわゆる「関西ニューウェーヴ」と呼ばれる動きがあった。それにくくられるアーティストたちは、これまでに使われなかった色や形、素材で作品をつくるだけでなく、兵庫県立近代美術館で1980年から10年間に開かれたグループ展「アート・ナウ」で発表したり、当時まだ物質的にも精神的にも隔たりのあった東京で展覧会をするような発表をしていた。川島は87年、89年、そして総まとめである90年の「アート・ナウ」に参加しているので、本人の自覚はともかく「関西ニューウェーヴ」のひとりかもしれない。また、バブル経済の影響下、日本各地に美術館がつくられた時代でもある。今なお現代美術を紹介する水戸芸術館は、オープンした1990年に開館記念展「作法の遊戯―’90春・美術の現在」を開き、川島は入口すぐの場所に作品を展示した。さらに、美術館で生きている作家が展覧会をすることがまれだった1991年当時、和歌山県立近代美術館の「美術の現在―彫刻の変容― 小清水漸・北辻良央・川島慶樹展」に、まだ20代の若さで抜擢(ばってき)された。

川島「現代美術といっても、いろいろな発表の場所があるし、作品の形式もさまざまです。多くの人たちが、現代美術にはヒエラルキーがある、と口にします。僕にはその階層が円すい状になっていて、作家も鑑賞者もその階層に分かれている、と考えます。中心は空洞になっているので行き来ができるし、作品に『現代美術パウダー』のようなものをふりかければ、現代美術と呼ばれるものになり、どこのギャラリーが取り扱ってくれるとかどこの美術館で展覧会ができるといった、落ち着く先が決まっていきます。しかし僕は、小さいころから弱い立場のほうへ傾きがちな性格をしていたせいか、徐々に、現代美術の中心に行けない、行く必要がないと感じ始めました。若いのに美術館で展示をしていたけれど、円すい状の階層全体を眺めることができる縁のほうにいる、だったら中心を狙うのではなく、やりたいことをしていこう、と思うようになったのです」

とはいえ、川島は活動を捨てることなく、当然のように制作も発表も続けた。ただ、美術館で展覧会をしたり、何か賞をもらうような大きな舞台で立つことよりも、自分がやりたいこと、やるべきことをしていこう、という考え方にシフトしただけである。しかし時代はちょうど、大学の後輩であるコンプレッソ・プラスティコが1990年のベネチア・ビエンナーレに出品したり、空間をつかったインスタレーションの作品が生まれたように、絵画や彫刻といったジャンルや素材で語られる「美術」から、幅や次元に広がりを持った「アート」へと、言葉だけでなく時代や概念が変わっていくころと重なる。

模索する90年代から格闘する2000年代へ

やりたいことをすると決めた川島は、平面と立体のはざまであるレリーフ状の仕事ではなく、彫刻あるいは絵画をする、とすっぱり割り切った。展覧会をすれば、作品が売れたり、次の展覧会の話が舞い込むことは相変わらずだったし、建築物やインテリアの一部として求められる立体や平面作品をつくって、生活をしていた。

川島「作品を売ることに対して抵抗がないのは、僕の母親が絵を描く人で、描いた絵を展覧会でお客さんに売っていた姿を、僕は小さいころから見ていたからかもしれません。作品や作家にとって、美術館に所蔵されることがひとつの価値であるように、個人が気に入って作品を買う(作品が売れる)、お金という価値で判断される、作品を所有してくれることも大事なひとつの価値だ、と僕は考えています」

そして40歳を過ぎた2000年ごろ、川島の作品に大きな変化と試練を与えたのが、ポリエチレンという素材との出会いである。

川島「このブロンズ作品をスペインのバルセロナに置いたころ、僕は現地で滞在制作していました。そこでポリエチレンと出会ったのです。ポリエチレン製の板をつかっていた工場に交渉して、手に入れました。容易に彫ることさえできなくて、いまだに格闘していますが、僕はこの素材で何かできると信じています」

これまで木をつかって「クラシックス」と呼んだシリーズを、川島は素材の扱いづらさ、見た目の安っぽさも自覚したうえで、ポリエチレンで展開して「クレイジークラシックス」と名付けた。モチーフにつかった草や花を絵画にも取り入れて、それぞれの持ち味を楽しみながら作品をつくっている、という。

川島「20~30代の若い子と50代になった僕では、ポリエチレンへの感覚や作品の受け取り方が違うように感じていて、そういったジェネレーションギャップも楽しみたい。あるいは、自然の中に作品を置くとそのぜい弱さを感じたりするように、気持ちをいつも引き締めて制作していきたい」

今年を振り返って見ても、川島は京都での個展だけでなく、韓国のアートフェア、香川県や富山県の野外アートイベントなど、国や場所に縛られないで、発表を続けている。今回のインタビューは、川島慶樹というアーティストの人生のごく一部を切り取ったに過ぎない。引き続きいろいろなアーティストたちにインタビューをしていきたい、と私は考えている。

Chisai Fujita

Chisai Fujita . 藤田千彩アートライター/アートジャーナリスト。1974年岡山県生まれ。玉川大学文学部芸術学科芸術文化専攻卒業後、某大手通信会社で社内報の編集業務を手掛ける。5年半のOL生活中に、ギャラリーや横浜トリエンナーレでアートボランティアを経験。2002年独立後、フリーランスでアートライター、編集に携わっている。これまで「ぴあ」「週刊SPA!」「美術手帖」など雑誌、「AllAbout」「artscape」などウェブサイトに、展覧会紹介、レビューやインタビューの執筆、書籍編集を行っている。2005年から「PEELER」を運営する(共同編集:野田利也)。鑑賞活動にも力を入れ、定期的にアートに関心の高い一般人と美術館やギャラリーをまわる「アート巡り」を開催している。また現代アートの現状やアートシーンを伝える・鑑賞する授業として、2011年度、2014年度、2015年度愛知県立芸術大学非常勤講師、2012年度京都精華大学非常勤講師、2016年度愛知県立芸術大学非常勤研究員、2014~ 2017年度大阪成蹊大学非常勤講師などを担当している。 写真 (C) Takuya Matsumi ≫ 他の記事

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