itou 店主 伊藤槙吾 インタビュー

距離感を探りつづける「モノ売り」

In インタビュー by Makoto Hamagami 2017-07-25

 
京都市左京区の白川曼殊院に「itou」という古道具を扱うお店があります。看板には「モノ」という文字があり、店内では古道具が販売されているこのお店。古道具屋と聞けばアートとは無縁の場所のようですが、私が初めてitouを訪れた際、この場所は「古道具屋」というより、まるで現代アートの「展示空間」であるかのような印象を受けました。

モノを選択し配置することによって世界観を構築するというitouの試みと、それによって生み出される空間。それらは独自の美学や示唆に富んでおり、今日のアートに対する独創的なアプローチのようでもあります。モノの価値とは何なのかを問いつづけることは、現代を生きる私たちにとっても重要な課題なのではないでしょうか。今回のインタビューでは、itou店主の伊藤槙吾さんにお話しを伺いました。

アートの世界とは少し距離が離れるかもしれませんが、日常を生きる中で発し続けられる問いに目を向けることによって、芸術を考える上でのヒントを見つけられればと思います。

 

 
モノを選ぶ

− 「itou」では古道具を中心に販売されていますが、「古道具屋」という言葉だけでは収まりきらない雰囲気を感じています。伊藤さんは、このお店、そしてご自身の仕事をどのように捉えていらっしゃいますか?

僕自身も、自分のことを古道具屋とは考えていません。古道具屋というよりは、空間を構成するためのツールのひとつとして古道具を使っているという感じです。職業としていうなら、うーん、「モノ売り」でしょうか。物を売って、空間を作って、楽しんでいる人。「つくる」ことではなく「選ぶ」ことが好きで、身の回りにあるものを選び、それらを構成することで世界観をつくる、ということに面白さを感じています。そして、その要素として古道具がぴったりだなと思い、今は商売として古道具を売っているという感じです。

 

− 「自ら生み出すこと」と「既にあるものから選ぶこと」には、感覚として大きな違いがあるかと思います。具体的には、どのような経緯で「選ぶ」ということによりフォーカスするようになったのでしょうか?

まず「つくる」ということで言えば、大学時代にデザインを勉強していたのですが、そのときに大学の課題で椅子をつくるというのがあり、それはすごく楽しかったのを覚えています。椅子って、使いやすさと自分の主張の兼ね合いというか、そういうものを学校の課題の中では結構出せる方だなと思い、割合自由に制作に取り組むことが出来たんです。でも、大抵の大学の課題では、いわゆる社会解決とか、なぜこれが存在するのか、何のためにこれを作るか、ということを意識しながら制作することが必要で、存在意義を説明できなければならない。正直なところそれがすごく苦手でした。椅子の場合だったら、単純に座りやすさとかっこよさがあったらいいじゃないか、と僕は思っているし、そのシンプルなあり方がいいなと思っていたから、椅子を作るのは好きだったんです。それでもやっぱり学校で色々な課題をやっていくうちに、若気の至りもありますが(笑)、人のためを考えて課題をするのが嫌になってきてしまって。そんな時にたまたま今の「モノを売る」商売に出会って、この方法だったら自分がやりたいことをできるんじゃないかと思いました。自分自身、もともと「選ぶ」ことに関しては生活の中でやってきた方だと思っていたし、「選ぶ」ことから世界観をつくるということなら、いい距離感が保てるのではないかと思いました。

 

 

− 「選ぶ」という行為には、伊藤さん自身の価値基準が大きく影響してくると思いますが、itouに並べるための古道具を選ぶ際のポイントはありますか?

まず、古道具のいいところって、これは絶対一点もの!とか、世界中に自分しかこれを持っていないんじゃないか、というものに出会えるところだと思っています。なので、そういう一点もの感があるものは割と好んで選んでいます。それから、これは古道具の難しいところですが、自分なりの基準があったとしても「見る」能力と「買いつける」能力っていうものは別物なんですね。「見る」方に関しては、僕なりに頑張っているのですが、買い付けに関してはまだ足りないなぁ、と思うこともあります。それらの理想的なバランスっていうのは自分の中にもありますが、そこに到達するのはまだまだ難しいです。あとはそうだなぁ、僕個人的には、綺麗で洗練された古道具よりも、よりリアルに人間の生活が見えてくるようなものを選んでいます。人間の生活って、綺麗じゃないものがほとんどじゃないですか。生っぽいというか、ちょっとカオスめいたところがある場所。そういう空間からモノを切り取ってきたかのような、そんな古道具にも惹かれますね。

 

 

モノを並べる

− itouではさらに、それらの物を並べることで独特な空間を生み出していると思います。また、来るたびにディスプレイが変わっていて、物を並べることで変化していく空間が大変面白いと感じているのですが、ディスプレイする際にはどんなことを考えていらっしゃるのですか?

ディスプレイについては、すごく難しくてよく悩みます。お店が商品を並べる際の世間一般的なセオリーみたいなものがありますよね、例えば、素材を統一させたり、大きさが近いものを同じ場所に置いたりとか。とにかく商品の一つ一つが際立つように、それぞれを置いていいところに置くっていうのが本当は正しい気がするのですが、僕自身は逆にそういうことをあんまり考えないようにしています。僕の感覚では、商品を買い付ける時には一個一個を商品として見ているのですが、それらを並べる段階になると、商品は「記号」としか見えなくなるんです。

 

− 「記号」というのはすごく興味深いですね。ディスプレイを構成するための要素ということでしょうか?

そうそう。モノを置いた瞬間には、空間を構成するための要素になっている感じです。それで店全体のディスプレイが完成してみると、ピシャって合うときもあれば、全然ダメな時もある。ピシャッと合ったとしても1週間くらいしたらもう嫌になってきちゃって、またディスプレイを変えて、の繰り返しです。

 

− ということは、相当な頻度でディスプレイを変えてらっしゃるのですね。伊藤さんがつくろうとしている空間の具体的なイメージなどはありますか?

ディスプレイの頻度は、この小さいお店にしてはめちゃくちゃ高いかもしれないです。空間のイメージは、夢で見たり、写真やアニメなどのイメージから拝借したりすることもありますね。例えば、前に1,2回くらい夢で見たことがある風景なんですけど、夜、港町の高台みたいな場所で、上は提灯みたいなものが沢山並んでいてわいわい賑わっている。で、地下に降りていくと白い光の空間があってそこにはプールみたいなところがあって、プールなのに波の音が聞こえているようなところ。ちょっと綺麗すぎる光景な気はするんですが、その空間に入った時の感覚みたいなものは少し意識していると思います。

 

 

モノとの距離感

− ここまでお話をうかがってきて、「距離感」というものが、ひとつキーワードのように思えます。モノに対する距離感、人に対する距離感、場所に対する距離感など。そうやって伊藤さんが周囲のものとちょうどいい距離感を模索されることで、itouの雰囲気が生み出されているのかもしれません。

人と関わることが嫌いというわけではないですが、それでもやっぱり心地いい距離感が必要で、だから自分でお店を持つということが絶対に必要でした。古道具をこうやって見せていく上での場がないとダメだなと思っていて。そういう場所で、モノをキュレーションするような感覚でディスプレイしているのかもしれません。選んで再構成して、そうやって自分が感覚で並べてできた空間を人に味わってほしいと思っています。

 

− 私がitouの雰囲気を「展示空間」のようだと感じたり、伊藤さんのモノの捉え方にアーティスティックな部分を感じたりする理由が少し分かってきました。伊藤さんは、これまでにもVOUでポップアップショップを開催するなど、モノを展示という形で見せることもなさっていますが、今後アートの領域の中で活動がさらに発展していく可能性もありそうですね。

自分がやっていることを見せる場所を持つということは本当に大きいですね。たまにうちのお店を見て、僕がやっていることとか、これからやろうとしていることを、まだまだ未完成だけど拾ってくれる人もいて。そういう人がいるのはすごくありがたいです。今後、ちょっとやってみたいなと思っているのが、時間を決めてモノを動かしつづけるっていう、ある種パフォーマンスみたいなものなんですが。例えば、人が家に帰ってきてそこらへんに鍵を置くような、無意識で自然な動きってあるじゃないですか。そうやってモノを並べるということを際限なくやり続けていったらどういう感覚が味わえるのか、ということに挑戦してみたいですね。

 


− 展示やパフォーマンス、そしてお店としての商売。様々な要素がちょうどよい距離感で重なり合ってこその「itou」なのかもしれませんね。

要素としての古道具と言いましたが、今後また、他のこともいろいろやりたいと思うだろうし、そうなったらやると思います。だから今は古道具を選んで並べているけど、自分が見せたい世界観をつくるためのツールやメディアが変わっていくことはあるかもしれません。場所だって変わるかもしれない。でも、この商売の仕方っていうのは結構楽しいし、自分に合っていると思うので続けていくと思います。大学時代もずっとやりたいことを探していて、試行錯誤の日々が続いていました。それを思うと、今たどりついたこの仕事は自分的には天職だと思っています。

 

− ありがとうございました。

 

モノや道具というものは、元来それ自体に明確な存在目的や動機があって生み出されるものであり、その様な意味で、この世の中のものは全て、意味づけの中に存在しているとも言えます。しかし伊藤さんは、年代や時代、理由を超えて、彼自身の感性や直感でモノを選んでいます。それは、「使う」「使われる」という、人とモノとの直線的な関係を、一旦横に置いた上でモノを見ているということなのではないでしょうか。

伊藤さんの距離感の取り方は、「モノとは何か」という問いかけの楽しみ方を教えてくれるかのようです。itouによる、モノが存在することの多面性への提案は、私たちがアートを考える際の手がかりになるかもしれません。

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【店舗情報】
itou
京都府京都市左京区一乗寺出口町1
月水金土日 13:00~20:00
http://itou-hurudougu.tumblr.com/

Makoto Hamagami

Makoto Hamagami . 1992年三重県生まれ。大学時代を京都で過ごし、美学芸術学及びアートマネジメントを学ぶ。その後、チェコのアートスタジオに勤務。現在は京都にて多様な背景をもつ人々と協働しながら、芸術、言語、社会とその周辺について、プロジェクト、ワークショップ等の企画・コーディネートを行っている。神戸大学大学院国際文化学研究科在籍。 ≫ 他の記事

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