棚田康司インタビュー

実は関西人です。

poster for O Jun x Koji Tanada Exhibition

O JUN × 棚田康司「鬩(せめぐ)」

兵庫県(その他)エリアにある
伊丹市立美術館にて
このイベントは終了しました。 - (2017-07-08 - 2017-08-27)

In トップ記事 トップ記事小 by Chisai Fujita 2017-07-24

木彫で、不思議な表情やポーズの人体像を作り続けている棚田康司さんは、実は関西出身のアーティストです。現在、美術家O JUNさんと二人展を開いている伊丹市立美術館で、お話を伺いました。

―昨年1月にシンガポールで棚田さんとお話しするまで、私は棚田さんが関西人だと知りませんでした。棚田さんが美術の道を進むようになったきっかけや原点を教えてください。

僕は兵庫県明石市出身で、僕自身、関西人の気質は抜けていないと思います。高校を卒業してからずっと東京での生活が長いのですが、物の考え方やツッコミをしてしまうような人との接し方は、小さい時からすりこまれている気がします。言葉だって、関西に戻るとすぐ関西弁になりますよ。

兵庫にいた頃は、音楽をやってたり、ハンドボールもしていました。中学の時にギターを買って、高校時代はバンドを組んだり、自分で作曲することもありました。自分の状況や社会に対していろいろ思う時期、僕にとってはバンドが表現することの原点でした。高校2年生の頃、周りの友達と本質的に何かが違う、合わないと感じ始めました。自分自身について考えるようになり、美術に意識が向きました。例えば小学生のとき、絵を描くのが好きだったし、賞をもらったこともありました。あるいは中学校のとき、父親の仕事の関係でロンドンに行って、ナショナルギャラリーでダ・ヴィンチの《聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ》やゴッホの《ひまわり》を見て、心にズカッと入って来るような衝撃を受けました。美術は僕自身の志向に合っていたんでしょうね。

さらに祖父が木彫教室に通っていて、その先生が小学校の同級生のお父さんだった丹下寿一氏という彫刻家の方で、僕は木彫とか彫刻家という言葉を小学生で知りました。

そして僕が通った明石高校には美術科もありましたが、僕は普通科で、先生に「美術系の大学へ進学したい」と相談するようになりました。その先生から出される課題は主に静物画で、僕にはつまらなく感じました。おそらくその頃から「人」に興味があったのでしょう、自分で自画像を描き始めました。人と空間の関係性に興味を持っていたので、大学で空間デザインを勉強しようとも思ったこともありましたが、結局彫刻科に進みました。

―高校を出て、関西を離れてから、大学で彫刻を専攻して、さらに彫刻家として活躍するなんて、大変なことですよね。今年で49歳を迎える棚田さんが、この年齢まで制作を続けているのは、なぜでしょうか。

大学に入ってから徐々に立体として物のとらえ方が分かるようになってきました。大学に入るまでは粘土しか触ったことがなかったけれど、大学で木や鉄など他の素材を知り、僕には木が合っているように思えました。カービングとモデリングで言うと、僕はカービングの方がしっくりきます。石は硬くて相性が悪いし、石膏取りのような素材をもう一度変換させるめんどくささも苦手で、「はよしたい」「はよ変化見たい」という関西人の僕には、木彫が合っていたのです。

大学の非常勤講師をしていたころ、僕の作品が少しずつ売れ始めました。大学での給料よりも、作品が売れる金額のほうが上回り、僕は「彫刻を仕事にやっていける」と認識するようになりました。そう思うことで気が楽になって、自分がつくりたいものをつくり、やっていきたいことをしていく、それが社会の代償となってお金になっていく、そして作品を見せたいという空間ができていく、という流れが生まれていったように思います。

アーティストはある程度こなれて来ると、手わざで見せることやパターンで見せることが多くなりがちです。でも僕はそこに入り込むのも、入り込む自分も違うと感じたので、変化に対して柔軟に考えていたと思います。

もちろん変化しつづけることや不安定じゃない方向というのは不安です。でも「いまだつくりたいものがある」という情熱があるし、安定を望んだところで安定が僕を許さないことが、過去に何度かありました。

例えば藤田さんと会ったシンガポールの展覧会は、インドネシアでアーティスト・イン・レジデンスをしませんか?という話があって、制作した作品を展示しました。この伊丹での展覧会でも、インドネシアで制作した作品は展示をしています。見てくださる皆さんは「すごく作品が変わった」とおっしゃいます。あの時の僕は、40代後半でインドネシアへ行く、何が起こるか分からない世界に飛び込んで、自分がどう反応できるかを見てみよう、という感じしかありませんでした。あの時は「今はこれしかできへん」と思ってましたが、今となっては冷静に「ここが変わったことかも」と思うこともあります。

―最後に、この展覧会について、教えてください。

絵画をされているO JUNさんと僕の2人展です。廊下などにも、ふたりの作品は置かれていますが、展示室は大きく4つの部屋に分かれています。3つまではO JUNさんと僕の、完成された作品のせめぎ合いを見ることができます。最後の部屋で、O JUNさんは苦手な油画で自画像、僕も苦手なレリーフ(浮き彫り)で自刻像を公開制作しています。僕は横たわった自分のレリーフをつくっていて、自分の体を彫るってむちゃくちゃめんどくさい(笑)!冷静に「身体」として受け入れにくいのです。

でも、この伊丹市立美術館だからこそ、この展覧会、この公開制作はできたのでしょう。学芸員さんががんばってくれました。そして僕にとって、同級生が会いに来てくれたり、兵庫県内で僕のことを知っている人たちが飲みに誘ってくれたり、といううれしい出会いが、毎日の励み、精神的な支えとなっています。僕は美術館の近くにマンスリーマンションを借りて、毎日制作のために美術館へ来ています。公開制作している自画像や自刻像は、会期中には完成してお披露目予定なので、ぜひ皆さんに何度も足を運んで来て欲しいですね。

【展覧会名】開館30周年 O JUN × 棚田康司「鬩(せめぐ)」
【会場】伊丹市立美術館
【会期】2017(平成29)年7月8日(土)~8月27日(日)
【公式サイト】http://artmuseum-itami.jp/

Chisai Fujita

Chisai Fujita . 藤田千彩アートライター/アートジャーナリスト。1974年岡山県生まれ。玉川大学文学部芸術学科芸術文化専攻卒業後、某大手通信会社で社内報の編集業務を手掛ける。5年半のOL生活中に、ギャラリーや横浜トリエンナーレでアートボランティアを経験。2002年独立後、フリーランスでアートライター、編集に携わっている。これまで「ぴあ」「週刊SPA!」「美術手帖」など雑誌、「AllAbout」「artscape」などウェブサイトに、展覧会紹介、レビューやインタビューの執筆、書籍編集を行っている。2005年から「PEELER」を運営する(共同編集:野田利也)。鑑賞活動にも力を入れ、定期的にアートに関心の高い一般人と美術館やギャラリーをまわる「アート巡り」を開催している。また現代アートの現状やアートシーンを伝える・鑑賞する授業として、2011年度、2014年度、2015年度愛知県立芸術大学非常勤講師、2012年度京都精華大学非常勤講師、2016年度愛知県立芸術大学非常勤研究員、2014~ 2017年度大阪成蹊大学非常勤講師などを担当している。 写真 (C) Takuya Matsumi ≫ 他の記事

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