ファルマコン : 医療とエコロジーアートによる芸術的感化

「薬」=「毒」という両義性から身体の健やかさを問い直す

poster for Pharmakon: Medical-Ecological Approaches for Artistic Sensibilization

「ファルマコン : 医療とエコロジーのアートによる芸術的感化」

大阪府(その他)エリアにある
特定非営利活動法人キャズにて
このイベントは終了しました。 - (2017-12-02 - 2017-12-23)

In トップ記事小 レビュー by Atsuko Nomura 2017-12-06


「pharmakon / ファルマコン」とは、「薬理学」の語源であり、ギリシャ語で「薬」と「毒」の両義的な意味を併せ持つ概念である。2017年12月1日より京都と大阪で開催されている「ファルマコン」展では、医療と身体といったテーマを中心に、自然環境と人間の営みの相互的関係や、先端医療や科学技術の持つべき意味について、芸術的アプローチを介して見つめ直すための新たな視点を提案するとともに、私たち人間が「いかに生きるか」という問題に迫っている。

 
この展覧会の企画・キュレーションを担当しているのは、現在パリ第8大学で教鞭を取り、現代美術の領域で身体や自己表象の問題を研究している大久保美紀さんである。大久保さんは、2015年より医療とエコロジーの問題に芸術的観点から実践的に取り組み、批評とキュレーションを行っている。

 
大久保さん「私たちは、アーティストや芸術批評家、社会学者、研究者、臨床医など異なる分野で活躍するメンバーが協働し、医療やエコロジーという特殊な領域における芸術の有用性や、社会的な応用性について考え、先端医療や新しいエコロジーの研究成果を芸術を通じて考察することを目指しています。医療やエコロジーの文脈ではアートは場違いのように思われがちですが、私たち一人一人が社会で生きる上で本質的な領域を異なる観点から見つめ直すことは大切なことだと考えています。具体的には、シンポジウムや研究集会企画といった<研究>と、展覧会やワークショップなどの<実践>を通じて、専門家と一般の私たちを結びつける活動を続けていこうと活動しています。今回日本で開催する「ファルマコン」展はその一環です」

 
この展覧会では、キュレーター自身を含めた計9名のアーティストの作品が、The Terminal Kyoto(京都)と特定非営利活動法人CAS(大阪)の2会場で展示されている。

 
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Jérémy Segard/ジェレミー・セガールさんは、以前より医学研究所や医療施設とコラボレーションした取り組みを行っているアーティストである。大久保さんと協働して開催したプロジェクト« Vivre ou vivre mieux? »(「生きる、あるいはよく生きる?」)では、自らがアクションを行い、それを写真で撮影してドローイングに起こし、その作品を批評とともに出版するという一連の流れによる芸術表現の手法を確立した。

 
この手法の延長にあるドローイングを、今回の京都会場と大阪会場で見ることができる。例えば彼は、「容れ物」という形態に関心を抱いている。人間の身体はひとつの筒であり器であり、外界から食物などの刺激を取り込みながら生きている。よくわからない異物を受け入れ、それを養分として生きるこの仕組みは、ときにはアレルギー反応や感染症を引き起こすが、自分の内部でありながらそこで何が起こっているかを直に確認することができない。しかしその「よくわからなさ」のバランスの上で私たちの生命が保たれていることに、セガールさんの展示は新たな角度から光を当てている。京都会場では、これらのドローイングとともに、アクションで生まれた手びねりの器も同時に見ることができる。


The Terminal Kyotoの2階床の間と、CASのメインギャラリー奥に展示されている大作は、Florian Gadenne/フロリアン・ガデンさんによる« céllule babélienne »(「バベルの塔的細胞」)(記事冒頭画像参照)である。芸術と科学を領域横断的に研究しているガデンさんは、ミクロの世界とマクロの世界の視点をミックスすることで、私たちを取り巻く環境や生態系の新たな理解を試みている。《バベルの塔的細胞》では、核、葉緑体、ミトコンドリアなど植物細胞の構成体がひとつの塔のような建造物を築いている様子を、バベルの塔にたとえて描いている。ガデンさんは、地球上における人間の繁殖力の強さをバクテリアのようなものとして捉えており、このバベルの塔を、異なる構成体が互いに関連し新たな生命として生まれ直す有機体としても解釈することができる。

 
また、宙に浮かんだ透明な繭を思わせる作品群« monades »(「モナド」)は、哲学者ライプニッツのモナド論に着想を得て制作された。ライプニッツによれば、モナドはそれ以上分割できない実態でありながら、ひとつひとつのモナドの中にはあらかじめ宇宙の全体が組み込まれているという。この作品の中央に浮かぶ二種類の球のうち、丸い陶器の中はタモギタケの菌床が、また金箔に包まれた土の球の中には穀物の種が培養されており、作品ひとつひとつが核を持つまとまりでありながら、内側に有機的な生命を宿している。ここでは、ひとつの小宇宙の中で互いに寄生したり受け入れたりしながら調和的に共生する構造の可能性が提示されている。


幅3メートルの巨大なドローイング« L’océan de Chatteland »(「女性器の帝国の海」)において、Anne-Sophie Yacono/アンヌ=ソフィ・ヤコノさんは、混沌とした世界の中で生き延びるすべを探し求めて変容する男性器を画面全体に描いている。そのうごめくさまは、それ自身が意志を持った生命体のようであり、水面から這い出して、与えられた環境の中で生命を維持するべくひだのような触手を伸ばす。彼女はこの「女性器の帝国」という独自の官能的世界観によって、匿名の性器の集合が人間を支配し、私たちがその餌食となる世界を象徴的に表現している。


パリ・ルーアンを拠点にフランスやヨーロッパで活躍している犬丸暁さんは、ルーペを使って太陽光で作品の一部を焼くという独特の技法での制作を行っている。作品« Distillation solaire – Expériences d’Icare »(「太陽光昇華 – イカロスの実験」)は、紙に焼き付けられた痕跡とその作品名から、ギリシャ神話の登場人物イカロスの翼を溶かした太陽光の焦げるような熱さをありありと感じさせるが、「ファルマコン」という文脈に置かれたとき、人間の皮膚や粘膜を焼くレーザー手術の光をも連想させる。イカロスの神話は人間の傲慢さに警告を与える物語として知られているように、この作品で扱われている太陽の光は、可視的な光としてだけではなく、テクノロジーの利用によって神の領域に近づこうとする人間の驕りに制裁を与える、畏怖すべき自然の力としての光とも解釈することができるだろう。


今回の展覧会を企画した大久保美紀さんの作品«プラセボ候補»は、医療における「薬の効果」の不確かさをアイロニックに提示している。プラセボとは有効な成分を含んでいない偽薬のことであり、患者が偽薬を本当の薬だと信じて飲むことで実際の効果が得られる「プラセボ効果」が知られている。この作品内では、「デトックス」「老化防止」「疲労回復」などの期待する効果を紙に書いてカプセルに封入するという指示書が提示されている。大久保さんは、この因果関係の不明瞭なプラセポ効果をモチーフとし、薬の服用がもたらす奇妙な精神的効果に着目する。その効果とはつまり、「薬を飲んでいるから大丈夫」という無根拠な安心感と、「薬によって私の身体が保たれている」という依存の感覚である。このとき患者は、自分の身体の制御権を薬に明け渡してしまっているにも関わらず、結果的に症状が改善する効果が現れている。だとすれば、薬の効果とは何なのか、そもそも私たちは自らの身体を主体的に制御することがはたして可能なのかについて考えざるをえない。






 
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京都会場の初日である12月1日(金)に行われたシンポジウムにて、京都大学こころの未来研究センター特定教授である吉岡洋先生は、「ファルマコン」という展覧会テーマに寄せて次のように語った。

「毒にも薬にもなる、というのは恐ろしいものです。しかし、生き物の能力というのは、わけのわからないものを受け入れて、自分の体液の状態を維持し、そのまま生き続けることではないでしょうか」

医療や環境というテーマを通じて、「私たちはいかに生きるか」という問いに迫ったこの展覧会において、この吉岡先生による「受け入れる」能力に関する着目は、参加アーティストたちの多様な表現に共通する生命観の核心を突いたものであった。

 
今回の展覧会では、各アーティストがそれぞれの問題意識をもって、医療やバイオテクノロジー、環境学などの領域の境界を超えて実践的に関わる作品を発表している。領域を横断しての活動は、芸術の分野に関わらず近年推進されている傾向にあるが、フランス人アーティストが医療施設や研究所から助成を受け、制作と批評を含めたアートプロジェクトを遂行している事例には学ぶところが大きい。これらのアートプロジェクトにおいては、医療従事者や研究者にとっては専門的研究成果を一般の人々に理解してもらう契機となり、また、アーティストの独創的な視点が研究に新たな切り口を提供することにもなるという。

 
社会の中で芸術がいかにあるべきかという問いに対する実践的回答のひとつとして、今回の展覧会は、アーティストにとってもその他の領域で活躍する専門家にとっても、見逃せないものと言えるだろう。京都会場、大阪会場のいずれも2017年12月23日まで開催している。


 
【開催情報】
「ファルマコン : 医療とエコロジーアートによる芸術的感化」
http://mrexhibition.net/pharmakon/

企画 : 大久保美紀
共催 : 特定非営利活動法人CAS
協力 : The Terminal Kyoto、京都大学こころの未来研究センター
助成 : ポーラ美術振興財団、朝日新聞文化財団

キュレーター : 大久保美紀
アーティスト : エヴォー、フロリアン・ガデン、アンヌ=ソフィー・ヤコノ、ジェレミー・セガール、石井友人、犬丸暁、大久保美紀、田中美帆、堀園実

会場・会期:
 京都会場
 2017年12月1日(金)~23日(土) 9:00 – 18:00 無休
 The Terminal Kyoto 〒600-8445京都府京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町424

 大阪会場
 2017年12月2日(土)~23日(土) 14:00 – 19:00 火木休
 特定非営利活動法人キャズ(CAS)
 〒556-0016 大阪府大阪市浪速区元町1丁目2番25号 A.I.R.1963 3階

 

Atsuko Nomura

Atsuko Nomura . 野村敦子|1983年奈良県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現代美術に関する企画、執筆、翻訳等を行っている。美術作品と美術家がどのように価値付けられ、美術史がどのように形成されてゆくのか、また現代美術に関わる経済システムには今後どのような可能性があるのかなど、美術と経済の問題について関心を抱いている。 ≫ 他の記事

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