「『松篁を育んだ学び舎 画塾・青甲社』- 青甲社主宰 西山翠嶂とその門下生 - 」展

松伯美術館

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青甲社とは、大正10年1月に西山塾と称して設立された西山翠嶂画塾のことで、上村松篁が、若き日に学んだこの画塾とは、どのような教育現場であったのか、それを明らかにすることは、現代へと続く日本画の歩みを知る上で極めて重要なことだといえます。戦後、自分の理想をだれにも気兼ねせず自由に表現し実力を伸ばせる新しい画壇の必要性を訴え、「創造美術」結成に参加した松篁は、長く教師として学校教育にも携わっていたことから、若手作家育成の環境についてより良くしたいという思いを強く持っていたと推測できます。松篁は大正10年4月、京都市立絵画専門学校入学と同時に西山塾に入塾しています。当時の京都には竹内栖鳳率いる竹杖会や山元春挙が指導する早苗会、菊池契月塾や西村五雲塾(後に晨烏社)など様々な画塾が存在していましたが、母松園が「将来、松篁は風景や人物も描くことになるかも知れない。西山さんは風景、人物、花鳥、なんでも描ける人だから、そこで勉強しておけば…」というアドバイスから、松園と同じ栖鳳門下の翠嶂に師事することになりました。入塾当時、40人程の塾生が学んでいましたが、毎月研究会が開かれ、作品を持ち寄ってはお互いに批評し、下絵や小下画、写生などの画稿を持参して個々に先生の助言を得たり、時には、塾生だけで各地の寺社へ古美術を見学に行くなど、画塾は重要な学び舎となっていたのです。本展では、青甲社時代の松篁作品を中心に、師の西山翠嶂、同門の沢宏靱や堂本印象などの作品も合わせて展示し、青甲社の活動をご覧頂きます。翠嶂の下で伸び伸びと成長していった門下生たちの作品を通して、画塾ならではの教育体制と画家育成の為の教育の変遷などをご紹介できればと思っています。

[関連イベント]
館長上村淳之によるギャラリートーク
日時: 10月26日(土)14:00から

メディア

スケジュール

2013年10月22日 10:00 ~ 2013年12月08日 17:00

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