美術評論家 伊藤俊治氏 インタビュー

In インタビュー by KABlog 2015-01-27

2014年3月に開催されたCalo Bookshop & Cafe10周年記念シンポジウム(写真家の畠山直哉氏、港千尋氏と、美術史家の伊藤俊治氏によるトークイベント)があり、伊藤氏の講義録が出版されました。

伊藤俊治氏は、現在は東京藝術大学、先端芸術表現科において教鞭をとられる傍ら内外の写真史や美術評論の著書を発表されています。大阪では、IMI (インターメディウム研究所)を1996年に開校されるなど、先端的な試みを行ってこられました。今回は、講義録の出版にあわせて、これからの日本の美術教育に求められるものについてお話をうかがいました。

■ 先生は、IMI(インターメディウム研修所)を1996年に開校されましたが、現代、日本においてアートの学びの形は多様化しています。その中で学びの場に求められているのはどのようなことであるとお考えになりますか?

日本の場合でも、諸外国においてもアートが21世紀に求められているものは、場所や地域で違いますし、一つの言葉で明確にするのは難しいような気がしますが、日本に住んでいる僕らにとって「境界(ボーダー)を新しい感性で認識すること」「大文字の他者に何らかの形で接触してゆく回路を作ること」この本にも触れているように「個人の表現というよりも連携した表現を生成してゆくこと」がアートが可能性として持っている、あるいは求められているような気がします。

■ 今日、インターネットを用いた一方向的な情報収集だけでなく、クラウドなどのエアポケット 化した、情報共有の在り方が一般的になりつつあります。その中で、人々のアートへの関わり方は 今後どのように変化してゆくとお考えになりますか?

未来的な予測に関しては、色々なことが言えると思いますが、今の趨勢をみてゆくと、個々人を超えた巨大な惑星規模の情報体ができあがりつつあるわけです。この前、エターニミという自分が死んだ後も人格を保存して、時々に応じて流してくれるアーカイバルカンパニーができて、アメリカで話題になっていました。

今日、もはや全てクラウド化されて、あらゆることが僕ら以外のもの(インターネットサーバー上)に記録されています。例えば、何月何日の、何時にどういうことを検索したなどの情報が蓄積されて、広大な情報系になっています。それらの蓄積が、別の形で僕らに作用して、死者や霊的な存在の世界と、今までにない形でコンタクトすることに重なってゆきます。それらとどういう関係をとってゆくのかが重要になってくると思います。

■ 最後に、講義録の中で「旅と巡礼の中で共に生きて学ぶようなテンポラリーなスクール」という言葉がでてきましたが、学びの場についての新しい構想をお持ちであればお聞かせ下さい。

今年の三月に「熱帯のアトリエ」というグローバルアートプラクティスを、藝大の中での一つの取り組みとして考えています。生徒達とインドネシアを旅しながら、テンポラリーなアートスペースを作ります。二週間くらいのプロジェクトで三月の末くらいに実現できると思います。バリ島のウブド郊外の村のスペースでレジデンスや、現地の人を呼んで共同で制作するような形でやろうと思っています。

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伊藤氏の言葉から、メディアの変化に伴う新しい関係性のあり方と、アートがどのように向き合うべきなのかを考えさせられます。情報媒体の発展によって、別の形で立ち現れる霊的世界への畏怖の念を持ち続けること。また「コミュニタス」という概念に表されるような、ゆるやかな繋がりによる、学びの場を生成してゆくことが、新しいアートの可能性と言えるかもしれません。


伊藤俊治 「いかにしてともに生き、ともに学ぶか バウハウスからT.A.Z…そして《コミュニタス》へ

[KABライター]
大坪晶 KABマネージャー

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