ギャラリーの魅力は、そこで行われる展覧会だけではありません。空間のつくられ方やオープンまでのエピソードなど、普段はあまり気に留めないギャラリーの別の魅力にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
onomachi αは、大阪は難波から続く南海電気鉄道の南海本線「和歌山市」駅(和歌山駅とは別の駅です)から徒歩5分ほどのところにあるギャラリー。オーナーの別所葉子さんはかつて市内にある別の建物で小野町デパート(後に現在の名前)というスペースを運営していましたが、2014年にこの地へと移転。別所さんが惚れ込んだ作家を広く紹介しています。
同年8月には駅ビルのテナントから高島屋が撤退したことで人の通りも少なくなってしまった和歌山市駅付近ですが、元々現代美術を扱うギャラリーがほとんどありません。別所さんがこの地でギャラリーを運営する背景にある思いとは、そしてどんな方針で空間づくりやキュレーションを行っているのかをうかがいました。
ないなら自分たちでつくればいい
学生時代は京都で暮らしていた別所さん。京都は哲学の道近くにあるGOSPELという喫茶店が、かつてOTENBA KIKIという名前だった頃のオープニングスタッフでした。1982年に建てられた洋館に入る喫茶店で、当時のままの姿を現在でも見ることができます。別所さん曰く、本当に素敵な空間だった、とのこと。このときの記憶は現在のギャラリーづくりにも影響を与えていると語ります。
こうした当時のエピソードは、とある媒体の取材を受け、過去のことを話す中で蘇ってきた記憶でした。一方、20代の頃に培った強烈な思い出とともに別所さんが自身の地元である和歌山に戻ったとき、現代美術を楽しむ環境が周りにないことを実感。京都時代の環境との違いに驚いたそう。実家が和歌山県海南市にある画廊ビュッフェという名前の画廊だった別所さんにとって、生まれたときからアートは生活の一部でした。
「いまから40年前、この辺りでは「画廊って何?」と言われる時代から、父はマイヨールやロダンを扱っていました。そういう環境の中で私は育ったんです。」
画廊は1974年にスタート。現在では、ビュッフェファイヴという名に変わり、別所さんの弟さんが跡を継いでいます。「ないなら自分たちでつくればいい」という思いを強くしていた別所さんは、2000年代中頃から小野町デパートというスペースの運営を行っていきます。
建物をなるべく解放したい
のちにonomachi αとなる小野町デパートが入っていたのは、1927年に建てられた旧西本組本社ビルというかつて建築会社の本社ビルだった建物。ルネサンス様式を引き継ぎ、地域地域の特質に合わせて各地へと広がった、19世紀ヨーロッパで流行するネオ・ルネサンス様式に影響を受けた鉄筋コンクリート造の建物です。本社ビルとしての機能が終わった1990年代からオープンまでの間にはまた別の事務所として使用されたこともあったようです。2000年には国の登録有形文化財として登録されています。
「ある日新聞記事でこの場所がイベントに使われていることを知ったのですが、ここに足を踏み入れたのがきっかけとなり、またこの場所で展示空間づくりをするうちに、どんどんその仕事の魅力に取り憑かれていきました。」
現在のonomachi αがあるのは和歌山市駅から程近いところに位置する、インテリアや特注家具のデザインなどを行うILMAが持つビルの2Fフロア。もともと北欧家具のショールーム兼事務所だったスペースをそのまま活用しています。コンクリート打ち放しの外観に鉄製のエントランスが差し込まれるすっきりとしたデザインのビルは、古くから続くだろう商店が並ぶ周囲の環境の中ではなかなか他に見られません。東京を拠点にする村松デザイン事務所の設計で2002年に生まれました。
別所さん自身、このビルの存在は10年ほど前から知っていたようで、あるときこの場所をギャラリーにしたいという思いが強くなっていったよう。当時まだ使用中だった2Fフロアをなんとか使わせてもらえないかと直接ビルオーナーさんに電話し、粘り強く交渉を続けます。その甲斐あってか、あるとき別所さんはオーナーさんから、何階でもいいので使ってください、というお返事をもらい、新たな場所でonomachi αが生まれました。
「これまではすでにあるものを、「建物をなるべく解放したい」という思いで改修して使っているのですが、だんだん、自分でつくりあげたくなっているのも確かです。来て欲しいと思う人たちは和歌山にももちろんいますから、来て欲しい人に来てもらうギャラリーにしたいと思っています。」
事務所として使われているときには誰にとっても見ることができるものではなかった、道路と逆側に備えられた大きなガラス窓からの川沿いの風景を、来館者は一望できます。「建物をなるべく解放したい」という別所さんの思いが象徴的に示されていると感じます。
とにかく人に興味がある
展示が終わると一回全部まっさらにしないと次の展示を構成できない、と語る別所さん。かつて西本ビルでギャラリーカフェとしてonomachi αを運営していたものの、カフェの方だけに注目されることに違和感を感じ、現在ではギャラリーのみを残して運営しています。自身キュレーターとしての教育を受けたわけではないと語りますが、展示をするにあたっての心構えをこう話します。
「私はとにかく人に興味があって、展示している最中は作家に恋をしているのと変わりません。作家と相談しながらではなく、作家が「いまつくりたいもの」を見たい。そうやって100パーセントの力で作家がつくってくれたものを、120パーセントにして人に届けたいんです。」
気持ちが乗ってはじめてできる。誰かに任せる、ということができない。強い言葉の裏には、プロへの信頼があります。写真家、デザイナーとともにつくるDMでは、それぞれの専門家がそれぞれの仕事を100パーセントで行っています。そういう意味での「みんなでつくりあげること」を重視する別所さんの姿勢が印象的でした。
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取材当日にはhibou designsの大川真起子さんによる服飾の展覧会「和紙を纏う」が開催しておりました。4月18日から26日までは、onomachi αでは3回目となる陶芸家青木良太展が開催。「別所さんの作る場所だったらどこででも展示しますよ」という、かつて青木さんからいただいた言葉が今でも強く印象に残っている、と聞かせてくれました。
以降、今年のスケジュールはすでに決まっているので、ウェブサイトからご覧ください。和歌山へ行く際には、展示とともにぜひ別所さんに会いに行ってみてください。(了)
文章・写真・スケッチ:榊原
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