ギャラリーの魅力は、そこで行われる展覧会だけではありません。空間のつくられ方やオープンまでのエピソードなど、普段はあまり気に留めないギャラリーの別の魅力にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
コーポ北加賀屋は、大阪は住之江区にある元造船工場があった工業地帯に位置する「もうひとつの社会を実践するための協働スタジオ」。およそ300㎡もの共有スペースを有する元家具工場を現在では複数のチームがシェアしており、のみならず不定期でこのスペースを使った展覧会やイベントも行われています。
今回お話をうかがったのは、この場所に事務所を構える建築組織dot architectsの家成俊勝さんと土井亘さん。コーポ北加賀屋のみならず、北加賀屋という街のこれまでと今にも焦点を当てて見ていきます。
–
取材時に行われていた展覧会は「COOP LABYRINTH」と「居間の今、茶室の彼方」。前者はコーポ北加賀屋の1Fと別会場で、そして後者の展覧会が2Fで行われていました。「COOP LABYRINTH」のコーポ北加賀屋側では作家田中秀和さんの作品が展示されています。
田中さんがこの場所を見つけたのは、後述するスペースMASKオープニングの際に知り合った家成さんの存在がきっかけ。コーポ北加賀屋は、人と人とのつながりによっているところが多くあります。
「居間の今・茶の間の彼方」展が開催されている2Fではタイトルそのままに、会場に居間が設えられています。こちらでも作品を展示している田中さんは、作家 野原健司さんとのやりとりを思い返しながら「最初はホワイトキューブの中に茶の間ができるっていう話だったんだけど、蓋を開けてみたらこういう形になった」と語ります。広い空間が隅々まで使われている展覧会です。
コーポ北加賀屋誕生の前後
コーポ北加賀屋がこの場所に生まれたのは2009年。当初はdot architects、NPO法人記録と表現とメディアのための組織remo、グラフィックデザイナーの有佐和也さんの3者によってシェアされていました。
ところで、家成さんがremo代表甲斐賢治さんと出会うのは、2004年に行われた湊町アンダーグラウンドプロジェクトがきっかけ。大阪の難波の地下に潜む6000平米の空間で行うアートイベントでした。
家成「それまで兵庫県の神崎川というところにある鉄骨造のビルの上のペントハウスで活動していたんですけど、自分たちで施工する仕事が段々増えて、ビルの上まで資材を持っていくのが大変だなと思うようになって。それから環境自体を変えたいっていう思いもあったんです。」
同じように、2000年代中頃、倒産したかつての複合娯楽施設フェスティバルゲートを拠点としていたremoも、同物件の解体を機に撤収を余儀なくされ、別場所を事務所にするもそこを離れざるを得なくなります。ちょうどdot architectsとremoが同じタイミングで新たな場所を探していたことが、コーポ北加賀屋の誕生につながっていきます。
家成「甲斐さんはこのあたりの不動産を管理している千島土地の芝川社長を知っていたので、いい物件知らないか、と聞いてくれて見つけたのがこの場所でした。最低限の構造と設備は千島土地に手入れしてもらい、それ以外は自分たちでやったんです。『シェアする仲間見つけるのに3年ください』といって、格安な家賃から段階的にはじめさせてもらったんです」
2年目には企画・編集・キュレーションなどを行うus/itと家具や什器などの製作を行う102木工所が入り5組に。翌年はFABLAB KITAKAGAYA、キュレーションを行うadanda(現在は入れ替わりで元dot architectsメンバーの安川雄基さんがアトリエカフエとして入居)が参加しています。
北加賀屋という街について
20世紀のはじめ頃から造船業などの重工業で栄えた北加賀屋。第一次世界大戦の時期には戦争景気を背景に造船ブームとなり、木津川沿いに造船工場が立ち並ぶようになります。現在ではクリエイティブセンター大阪の名称がつけられている名村造船所大阪工場跡地は、1988年に土地を所有する千島土地に返還。
名村造船所大阪工場跡地に関して、その後2004年から「30年にわたって新しい芸術の提示・考察・検証・記録を行うアートプロジェクト」NAMURA ART MEETINGがスタート。そして2007年に経済産業省によって近代化産業遺産に認定されます。2009年からはこの地を文化芸術の集積地にすることを目指す北加賀屋クリエイティブビレッジ構想(KCV構想)が開始。
家成「北加賀屋は高齢化していて、2040年までに896の自治体が消滅するといういわゆる「増田レポート」の中に北加賀屋の名前が入っていたんです。一時すごい数の労働者が働いていたようですが、高齢化した所有者が亡くなってしまうと、建物を解体してコインパーキングにすることが一番手っ取り早い、となってしまうんです。でもその結果どんどん街がスカスカになってしまった。じゃあ建物をそのままアーティストなどに貸そう、と」
千鳥文化住宅の1Fで喫茶店を営んでいた方にヒアリングしたという家成さん。ドックがあるため、1950年代60年代には1ヶ月単位で外国人が多く滞在していたよう。木津川での造船にも物理的な限界があったせいか、その後九州に造船の中心が移り、北加賀屋での造船業はどんどん下火になっていきます。
ところで、北加賀屋での取り組みを見ていく上で千島土地の存在は欠かせません。
家成「社長の芝川さんはすごくアートに関心を持たれていて、自分でも作品を買われているんです。アートの力で土地の価値を上げたい、と。そして活動する人をきっちりサポートしていくような仕組みをつくりたいと。そこでおおさか創造千島財団を立ち上げてアート活動を支援しているようです。ただ、地域全部の施設が小綺麗やおしゃれになるよりも、活動が根付くような場所になることが大事だなと思っています。」
造船所跡地自体をどう活用するかに関して点的に議論が生まれた2003年頃から、2009年頃からはより面的にシフトしていった、と家成さんは語ります。事実、今回のコーポ北加賀屋での展示が旧千鳥文化住宅につながり、さらに広がっているという印象を受けました。
点から面へ
COOP LABYRINTHが行なわれているコーポ北加賀屋ではないもうひとつの「別会場」は、今後旧千鳥文化住宅という名のスペースになる予定。1年ほど前に新築か改修かが問題となる中で「残そう」と声を上げたgrafの服部滋樹さん経由で、dot architectsに声がかかりました。担当する土井さんはこう語ります。
土井「改修するためにこの建物を実測したんですけど、見たこともない間取りになっていたり、突然部屋と部屋の間に外部空間ができていたり、不思議な建物です。かつて労働者の人たちが住んでいたんだと思います。造船で出てきた廃材などを使ってつくられているんですよね。外観はそのままで内側に新しいプログラムを入れようという話をしています。」
旧千鳥文化住宅でのdot architectsの役割は改修のための設計だけに留まりません。「事務所の近所なのに設計だけして終わるのは悪い」と家成さん。「このあたりあまりご飯食べるところが多くないので」と、元喫茶店のスペースでカレー屋さんを開くよう。他にも古材バンク、地域の人がフラッと入れる図書館が入る予定。裏には北加賀屋みんなのうえんというシェア農園があります。
一方、昨年2014年からスタートした興味深い取り組みとして、約1000㎡の空間を持つ元鋼材加工工場と倉庫跡を活かしたMASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)があります。複数の現代美術作家による大型作品を収蔵し、約1ヶ月の間誰でも無料で鑑賞することができるというもの。dot architectsも「特別協力」として関わっています。土井さんはこう言います。
土井「MASKは収蔵している各作家の費用負担がありません。今回メインアーティストとして制作を行った宇治野宗輝さんの制作費の一部も含め、年に一 度の一般公開の費用は、おおさか創造千島財団が出している。作品の所有権も作家さんにあるらしく、完全無欠の非営利活動なんです。」
こうした土井さんの発言からもうかがえる通り、千島土地という地域の企業と、地域を拠点に活動を行う人々との奇跡的な関係性が現在生まれているように感じます。
「MASKやNAMURA ART MEETINGなど大きいイベントがあっても、来た人がそこだけで帰っちゃうのはもったいない。いろんなもの見える方が面白いよなと思って、ここでの展覧会をやっています」という家成さんの言葉は、まさに「点から面」を象徴するもの。
来年もMASK開催に合わせてコーポ北加賀屋でもイベントを行う、とのことでしたが、今後北加賀屋に訪れるときは、ぜひ他のスペースにも足を運んでみてはいかがでしょうか。
文章・写真:榊原
–
コーポ北加賀屋
住所:大阪市住之江区北加賀屋5-4-12
–