辰野登恵子の軌跡―イメージの知覚化―

具象とか抽象とか絵画とか版画とかどうでもいいから

poster for Toeko Tatsuno’s Trajectory

辰野登恵子の軌跡―イメージの知覚化―

神戸市エリアにある
BBプラザ美術館にて
このイベントは終了しました。 - (2016-07-05 - 2016-09-19)

In レビュー by Chisai Fujita 2016-08-13

あなたは展覧会を見に行く基準を考え直す必要がある

あなたが展覧会を見に行くとき、何をもって見に行くのだろうか?知り合いや名前を知っているから?あの美術館の展覧会だったら間違いないから?兵庫県立美術館で藤田嗣治展を見た帰り道、BBプラザ美術館を横切って「辰野登恵子って誰?知らない、分からない、行かない」でスルーした人も、既にいるかもしれない。

しかし知っているものだけを見る、新聞などに取り上げられていたから見に行く、という見方では「アートの自由さ」を理解しているとは言えない。そして、自分の目で見る、自分の判断基準をつくる、ということもできないでアート作品を見ることが、いつまでたってもできないままだろう。美学においても、「価値判断は『好き・嫌い』である」と既に証明されて久しい。だからなおさら、あなたは辰野登恵子の名前や作品を知らなくても分からなくても、BBプラザ美術館へ行くべきだ、それぐらいの価値がある展覧会だから。

今回の展覧会は、関西在住の一コレクターが収集した作品によって構成されている(1点を除いて)。このコレクターは、辰野がかつて大阪に住んでいたことを知らないで、国立国際美術館でドローイング作品を見てから収集を始めた、という。だからこの展覧会が終われば、作品はまたコレクターのもとへ戻っていくので、今後この辰野登恵子の作品群を見ることができるか不明だ。

平面とたたかうその力強さと大胆さに憧れるべきだ

とはいえ「抽象絵画は分からないから」と、あなたは逃げ腰になるかもしれない。おそらく辰野自身は「抽象絵画の画家である」意識は持っていなかったはずだ。もっと言えば、誰も辰野を洋画家と呼ばないし、ぺインターとも自称してないかもしれない。私が思うに、辰野は作品を技法やジャンルに縛る必要がなく、自分が表現したいものを具現化する「アーティスト」であった。私たちの目には、いわゆる「絵画」やいわゆる「版画」という平面作品にしか映らないが、私たちに何かを変えていく力を指し示している手段、だと思う。だから「辰野登恵子は抽象絵画だ」という決めつけで見てほしくない。

この画像では分かりにくいが、展覧会場の作品群を見ていると、気が付くことがある。油絵具をつかうとき、アクリル絵具をつかうとき、パステルをつかうとき、リトグラフをつかうとき、シルクスクリーンをつかうとき、エッチングをつかうとき、木炭をつかうとき、とそれぞれ画材の個性を辰野は理解して、画材の長所や短所と向き合いながら、技法を楽しみつつも、生み出される色や形に苦悩しながら制作していたように感じられるのだ。

このことは、いまの20代から40代にかけてのアーティストと決定的に違う。自分のスタイルを確立するためなのか若い彼らは、ひとつの技法(テクニック)、ひとつの表現方法、ひとつの場所にこだわっている。それに比べて、辰野は自由である。

彼女が持つ自由さは奔放という意味ではなくて、作品を生み出すことに集中するために手段は問わない、こだわりを持たない、というストイックな意味である。アーティストが技法や表現を超えて制作するためは、それなりの知識や時間が必要だし、思ったように出来上がらないという苦悩も伴うはずだ。それをも辰野は理解して、作品を生み出していたに違いない。

辰野登恵子から考える「アートのこれから」は複雑ではてしない

4年前のちょうど今ごろ、東京の国立新美術館で開かれた「与えられた形象 辰野登恵子 柴田敏雄」展の会場で、私は辰野本人を見かけた。すごい小柄な女性で、大きな美術館には彼女の背を超えるサイズの作品が並んでいた。私は「この人がこんな作品をつくるの?」とびっくりしたことを覚えている。今回BBプラザ美術館に展示されているものは、彼女の作品の中でもそんな大きなたぐいのものはないが、前期・後期と展示期間が区切られているとしても、あるいは80年代から2000年代までまたいでいるとしても、その数は圧倒的である。

辰野の作品の多くは、関東を中心に全国の美術館が持っている。しかし2年前に亡くなった辰野の軌跡をなぞる展覧会はそんなに開かれていない。さらに、個人コレクションだからこそ持っていたのであろう立体作品は、辰野自身が蜜ろうでつくった貴重な作品だ。そういう意味でもこのBBプラザ美術館の展覧会は必見だといえよう。

辰野登恵子の軌跡をたどったこの展覧会は、現代美術(コンテンポラリーアート)の研究面、興味を持つ人たちが増えつつあるアート・アーカイブズへの問題点も浮き彫りにしている。他のアーティストと比較したり、ジャンルや素材の面だけではない。1950年生まれであること、つまり80年代のアートシーンはどうであったのかという検証、辰野が女性であることでの社会や環境、絵画世界や版画世界に閉じこもっていない平面作品の作家である現実、地域とアートの絆が盛んな昨今において辰野がかつて大阪に住んでいたことと作品の関係性、上記の作品をつくるためにパリの版画工房IDEMに滞在したことからみられるアーティストが海外で制作することあるいはアーティスト・イン・レジデンスの意義や必要性など、まだ調査や研究が進んでいない。美術史上にどう彼女を配置するのか。誰がその系譜をつくるのか。どう残し、伝えていくべきなのか。このBBプラザ美術館で展示されている作品がコレクターの元へ戻り、辰野登恵子の軌跡さえもお蔵入りにならないように、私は案じたい。

【展覧会概要】
辰野登恵子の軌跡―イメージの知覚化―
会場:BBプラザ美術館
会期:2016(平成28)年7月5日(火)~9月19日(月)
※前期展示をご覧いただいた方は、チケットの半券ご提示で後期展示をご覧いただけます。
公式サイト:http://bbpmuseum.jp/

Chisai Fujita

Chisai Fujita . 藤田千彩アートライター/アートジャーナリスト。1974年岡山県生まれ。玉川大学文学部芸術学科芸術文化専攻卒業後、某大手通信会社で社内報の編集業務を手掛ける。5年半のOL生活中に、ギャラリーや横浜トリエンナーレでアートボランティアを経験。2002年独立後、フリーランスでアートライター、編集に携わっている。これまで「ぴあ」「週刊SPA!」「美術手帖」など雑誌、「AllAbout」「artscape」などウェブサイトに、展覧会紹介、レビューやインタビューの執筆、書籍編集を行っている。2005年から「PEELER」を運営する(共同編集:野田利也)。鑑賞活動にも力を入れ、定期的にアートに関心の高い一般人と美術館やギャラリーをまわる「アート巡り」を開催している。また現代アートの現状やアートシーンを伝える・鑑賞する授業として、2011年度、2014年度、2015年度愛知県立芸術大学非常勤講師、2012年度京都精華大学非常勤講師、2016年度愛知県立芸術大学非常勤研究員、2014~ 2017年度大阪成蹊大学非常勤講師などを担当している。 写真 (C) Takuya Matsumi ≫ 他の記事

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