土佐尚子インタビュー

京都からニューヨーク・タイムズスクエアで作品上映するまで

In インタビュー by Chisai Fujita 2017-04-13

あなたは「土佐尚子」を知っていますか。いまだに東京中心に語られるメディア、たった今だけの現代美術、日本美術史しか知らないなら、おそらく彼女の名前を知らないでしょう。あるいは、絵画や彫刻といったジャンルを意識した制作・鑑賞をしているなら、彼女の作品は見たことがないでしょう。1月のシンガポールで話を伺ったことに飽き足らず、今回は彼女の次なる一歩となるであろう展示場所、ニューヨーク・タイムズスクエアでインタビューを行いました。

「Midnight Project」

この4月、私はニューヨークのタイムズスクエアに多数あるモニター使ったプロジェクト「Midnight Project」で、《Sound of Ikebana (Spring)》を展示しています。

3年前に私は、池田亮司さんがこのプロジェクトで展示をされている説明を聞いたことがあり、そのとき「このような私も作品をここで見せたい」と思いました。これまで「琳派400年祭」のイベントやシンガポールのアートサイエンスミュージアムなどで、プロジェクションマッピングはしたことがあり、パブリックな場所で作品を見せることについては理解していました。そして、私自身いつも「歴史や文化を踏まえて、新しいことをやりたい」と考えていました。ジャパン・ソサエティ・ニューヨークのギャラリーディレクターの神谷幸江さんから、このプロジェクトのことを伺い、公募に応募しました。ニューヨークの「春」と《Sound of IKEBANA》の「桜」がうまく合い、上映が決まりました。2017年の4月いっぱい、夜11時57分から3分間、タイムズスクエアにある数多くのエレクトリックビルボードで作品上映をしています。

これまでの土佐尚子の人生

私の人生を振り返るとき、必ずしも一筋縄ではいかないタイプの生き方をしてきたと思います。確かに京都大学教授であったり、文化庁文化交流使であったり、肩書きだけ見ると出来上がった人生のように見えます。しかし私は、こういった枠に収まりきれず、はみ出してしまうタイプです。そういった性格だからこそ、新しいことを生むことができている、と私自身は思っています。

1990年代、メディアアーティストをしながら、美術系大学でコンピュータグラフィックスのようなコンピュータを使うことを教えていました。今に比べてコンピュータの性能も低いし、学生もプログラミングがうまくできなくてフラストレーションがたまっていくし、このまま勤めても大変だな、と思って研究所に転職しました。いわゆる国の研究所で、アート&テクノロジーの研究員をしながら、アーティストとしてシーグラフ(SIGGRAPH)やアルス・エレクトロニカ(Ars Electronica)で作品を発表していたのですが、工学博士を持っているので、周りの目は「あなたは工学の人でしょ」という感じ。しかし私にとって工学を学んだ理由は、最先端の技術でアートをつくりたかったからです。それがまた私の中でジレンマでした。その研究員の任期が終わって、科学技術振興機構(JST)の「相互作用と賢さ領域の研究員」になった時に、文化庁芸術家在外派遣特別研修員制度を利用して、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の建築学部にバウハウスのジョージ・ケペシュ(György Kepes)が創ったCenter for Advanced Visual Studies(CAVS) (現Center for Art, Science and Technology)に行くことができることになりました。最初は短期だったのですが、改めてMITのフェローに応募して受かってからは、2ヶ月に1回、京都とアメリカを行き来していました。MITでは、「禅」をコンピューティングする(コンピュータで山水をつくり、自分がつくったCGの山水を散策するうちに、心身が目覚める)作品の制作を始めました。そうこうしてうちに、英語力の限界を感じたり、いろんな挫折感がある中で、MIT CAVSのディレクターProf. スティーブ・ベントン(Steve Benton)が亡くなられたことをきっかけに、日本に戻りました。いま、京都を拠点にしているのは、京都大学で教えていて、自分のラボがあるからです。

京都に助けられている

京都大学で働くこと、共同研究するために京都のニッチグローバルなテクノロジー系の企業があることだけでなく、京都という環境は私にとって良い場所だと思っています。今「文化庁文化交流使」として、昨年2016年11月のロンドン、シンガポール、ニューヨーク、フィリピン、ニュージーランド、韓国、フランス・パリ、ロンドン、そしてロサンジェルス、と行って、作品を見せてきました。

先日、一時帰国した数日の間に、京都の花園中学校の教室で、禅をコンピューティングした作品を見せたんです。花園中学校は妙心寺が経営母体の中学校で、作品を見た先生や妙心寺のお坊さんが「禅的ですね」「もっと禅の話をしてください」とおっしゃいました。そういえば「琳派400年」イベントのときも、昨年度建仁寺にデジタル作品を奉納した時にも建仁寺のお坊さんが「作品が禅的だ」とおっしゃっていました。実は、これまで他人に言ったことがなかったんですが、長い間私は禅にとても関心を持っていました。そのことを、作品を見た宗派の違うお坊さんたちから指摘されて、分かる人には分かるんだという驚きと同時に、禅や日本美術が数多く近くにある京都にいて良かった、とつくづく感じています。

とても個人的な意見なのですが、今までヨーロッパ、アジア、アメリカを回って思ったこととして、ニューヨークやロンドンのような文化度の高い国や都市は「アブストラクト(抽象)」の作品を好む傾向が高いです。なぜかというと、メタファー(概念)や比喩が入った作品を理解できるというのは、ある程度の共感覚的な遊びが必要だからです。私の同じ作品を見せても、そういった都市での反応はすごく良いです。一方、例えば花や月といった具体的な目に見える物の表現を好む東南アジア諸国では、私の作品の反応はイマイチです。

ちなみに京都はモダンなアブストラクト(抽象表現)を好みます。私がこの町に居ること、住んでいること、そういった表現を享受して理解できることは、私にとって重要だという気がします。ニューヨークも自分の表現を受け止めてくれて、文化交流使として伺った中では、一番ぴたっと合う場所だ、ということは分かりました。映像作品のマーケットもあって、この3月に「Moving Image art fair」というアートフェアがあり、このウェブサイトのトップページに、私の映像作品が選ばれています。またアートディーラーさんもいるし、キュレーターたちも熱心です。
だからといって、私がニューヨークに拠点を移すか?と聞かれれば、それは違います。分野が違いますが、アニメーションの宮崎駿さんや現代美術の森村泰昌さんといった人たちを見ていると、自分のローカルの場所で活動をしながら、世界に向けて作品発表している人たちも多いです。いま私が無理にニューヨークに住んでも、自分に無理が重なるだけで、そんなにハッピーではない気がします。

誰もやっていないことをやりたい

むしろアーティストとして私が目指したい、意識していきたいことは、自分なりの表現の追求です。20年前には「土佐さんの作品はメディアアートで、現代美術やファインアートではないですね」と言われていましたが、いまの時代、デジタルだろうと、ペインティング(絵画)だろうと、彫刻だろうと、ジャンルはまったく関係がありません。

ニューヨークにはアブストラクト・エクスプレッション(抽象表現主義)の流れがありましたが、マーク・ロスコ自体は、自分は、アブスラクト・エクスプレッション主義では無いと言い続けていました。しかし彼の作品は他の誰とも同じではない、見ればロスコの表現だと分かる作品です。こういう突き抜けた表現にたどり着くことが大事です。このような境地に居る人たちが一流と呼ばれていると思います。このような一流の人たちが何を考えて、どうしてこんな表現をしていたのか、ということを私なりに咀嚼して、自分だったらどうするのか、どうやったら自分なりの表現まで高めていけるのか、ということを私は日々考えています。

アーティストとして、それが一番大事で、他のことは大した問題ではありません。アートに限らず歴史に残るような仕事をしたいと思う場合、まずはタブーを打ち破らなくてはいけません。私も若いころ、迷い失敗もしました。でも何が重要かというと、歴史を踏まえた上で、自分にしかできないことをする、自分なりの表現スタイルをつくる、ということだけです。美術で「タブーを打ち破る」というのは当たり前のように聞こえますが、実は多くの人は破ってない、なぞっているだけです。なぞっているだけでは世界に物申すアーティストになれません、突き抜けないといけません。私も、自分の得意なやり方で突き抜ける方法を探っています。

そしてそのヒントは、アートの世界やアーティストだけを見ていてもだめだとも思います。誰もがだんだん歳を取ると、分からないことや新しいことを理解することが面倒くさくなり受け入れなくなって、今のルールを維持しようと思いがちです。でもそれを乗り越えて、新しいことに挑戦して、そこから学び、自分の中に取り入れて、新しい表現に変えていく、というプロセスを私はずっと持っていたいです。もちろん、なかなかできないことです。ひとつ成功をするとその中に浸っていたいですが、やり続けないといずれ堕落するでしょう。それが出来てくれば、必ず見ている人は気付くもので、ギャラリーに出会うとか、企画展に入るとか、後になって起こってくる、と思います。

私は新しい作品制作のプランと、それを社会的に実現するために企業とも共同研究を行っています。次の国内での展覧会は、美術評論家の伊東順二さんのキュレーションで4月29日からKARUIZAWA NEW ART MUSEUMで行われる「アートはサイエンス」という企画展です。
今後の活躍も楽しみにしてください。

【展覧会名】「Midnight Project / Sound of Ikebana (Spring) splashes color across the screens of Times Square」
【会場】ニューヨーク、タイムズスクエア
【会期】2017(平成29)年4月1日(土)~30日(日)
【公式サイト】
http://www.timessquarenyc.org/times-square-arts/media/press-releases/naoko-tosa-sound-of-ikebana-spring/index.aspx

Chisai Fujita

Chisai Fujita . 藤田千彩アートライター/アートジャーナリスト。1974年岡山県生まれ。玉川大学文学部芸術学科芸術文化専攻卒業後、某大手通信会社で社内報の編集業務を手掛ける。5年半のOL生活中に、ギャラリーや横浜トリエンナーレでアートボランティアを経験。2002年独立後、フリーランスでアートライター、編集に携わっている。これまで「ぴあ」「週刊SPA!」「美術手帖」など雑誌、「AllAbout」「artscape」などウェブサイトに、展覧会紹介、レビューやインタビューの執筆、書籍編集を行っている。2005年から「PEELER」を運営する(共同編集:野田利也)。鑑賞活動にも力を入れ、定期的にアートに関心の高い一般人と美術館やギャラリーをまわる「アート巡り」を開催している。また現代アートの現状やアートシーンを伝える・鑑賞する授業として、2011年度、2014年度、2015年度愛知県立芸術大学非常勤講師、2012年度京都精華大学非常勤講師、2016年度愛知県立芸術大学非常勤研究員、2014~ 2017年度大阪成蹊大学非常勤講師などを担当している。 写真 (C) Takuya Matsumi ≫ 他の記事

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