京阪電車 なにわ橋駅 アートエリアB1

アンダーグラウンドでトガり続けて来年10周年

poster for Railway Arts Festival Vol. 7: Station to Station

「鉄道芸術祭vol.7 STATION TO STATION」

大阪市北区エリアにある
アートエリア B1にて
このイベントは終了しました。 - (2017-11-10 - 2018-01-21)

In インタビュー by Chisai Fujita 2017-11-10

ポストバブルな経済や、事業仕分けな政治に振り回されてきた、2000年代のアートシーン。しかも、お祭りや町おこしのようなアートイベントが増え、30歳までに名前を知らしめなければと焦るアーティストも増えて、作品を見ても何も心に残らない。でも、アートエリアB1に行くと、「分からへん」「何ここ」といつも心はもやもやするばかり。そうだ、このもやもやが最近必要なんだ!ということで、アートエリアB1立ち上げ時から企画・運営に携わる大阪大学21世紀懐徳堂准教授の木ノ下智恵子さんに、私は話を聞きに行った。


――― 来年10周年を迎える「アートエリアB1」が始まった経緯を教えてください。

木ノ下
2006年、「京阪電車中之島線の工事現場における社会実験」という名のもとに、工事主体者である京阪電車、NPOダンスボックス、大阪大学に当時新しくできたコミュニケーション・デザインセンターという三者が集められました。新しくできる駅で、何か実験ができないか、普段見ることができない工事現場やそのプロセスを開いていこう、といくつかイベントを行いました。そして2008年、開通した京阪電車中之島線なにわ橋駅のコンコースに、「アートエリアB1」ができました。


――― なぜアート、あるいは文化的な内容だったのでしょうか。

木ノ下
この中之島エリアは、中央公会堂、東洋陶磁美術館、図書館といった文化施設があります。つまり、大阪のキタやミナミ、梅田やなんばとは違った文化があり、同時に市役所や企業も立地する文教とビジネスが共存するエリアです。その特異性を生かし、産学連携の、言うなれば「新薬の開発」とか「新しい技術開発」といったように、企業・大学・NPOが共同して文化事業の開発を行う、社学連携というミッションがふさわしい場となったのです。


――― 工事期間である2006年、2007年には何をされたのでしょうか。

木ノ下
2006年は、京阪中之島線の工事を3日間止めて、イベントを行いました。3日間とはいえ、工事現場を止めることは経済的には大損失ですし、工事のプロセスにおいても大変なご苦労があったと思います。イベントを企画する側としても、事務局もなく、広報も不十分でした。しかし、たくさんの人たちに来ていただきました。観客からすれば、工事現場という普段は見ることができない体験と驚き、スペクタクルを感じることがおそらくあったのでしょう。一方で、現在の「ラボカフェ」というレクチャー&対話プログラムの企画に繋がるようなことも実施でき、とりあえず来年も継続してみましょうか、ということになりました。

2年目である2007年は、工事現場、土木の空間をきっちり見ることができる最後の年でした。昨今、廃墟や休眠施設を文化的な環境に捉えることは多く見受けられますが、駅や路線を「現在進行形で建設中」という場所を使うことはかなり珍しいことです。万が一事故等が起こったら、すべてがアウトになってしまうかもしれない、それでも工事プロセスを開いていこうとしました。地下30メートルの土木工事の現場を、美的な感覚で捉えた時にどういうことができるだろうか、ヘルメットなど一切なしでストレスなく見せるにはどうしたらいいか。そこで私たちは工事現場を舞台にしたファッションショーを企画し、300人を超える観客に来ていただきました。


――― そして2008年、「アートエリアB1」が生まれたのですね。

木ノ下
数値的な実績と内容的な実績をもとに、私たちは話し合いながら、今後できる駅に何か場所を作って、果たして機能するのか、本当に可能性があるのか、という実験の続きとして「アートエリアB1」を整備し運用することを決めました。劇場やギャラリー、美術館や博物館は、目的意識を持った人が行きますが、この場所は駅のコンコース、パブリックスペースです。私たちは「コミュニティスペース」と呼んでいますが、常に開いていて、誰も拒めない場所、なおかつ、駅の環境音が入って来るし、搬入用のエレベーターがあるわけでもない、というハードルもあります。それでも、疲弊する大阪や関西の文化環境において、拠点を持つことは大変意義深いのではないか、と考えたのです。


――― スタート当時と現在を比べた時に、例えば大阪府や市の状況、文化を取り巻く環境や事情もいろいろと変化していると思います。「アートエリアB1」は何か変わりましたか、変化はないですか。

木ノ下
スタート当時は、京阪電車、NPOダンスボックス、大阪大学が得意とする物事を、それぞれ持ち寄って、継続運営していく意識でした。しかしそれだけでは弱く、また、それぞれの利益を求める場所だけになってしまいます。加えて、当時の大阪では、ギャラリーや美術館や劇場が閉鎖されていく、つまり見る場所が少なくなる、イコールお客さんも少なくなる、というマイナスのスパイラルに陥っていることを実感していました。そこで私たちは、三者共同の事業として、この場所の文脈になぞらえた「鉄道芸術祭」を始めました。さらにテーマを規定するのではなく、場所の可能性を探る「サーチプロジェクト」も立ち上げ、春と秋の年2回の企画展によって、芸術や知のあり方を様々に実験することにしました。

それにより何が起こったかといえば、毎回全く内容や取り扱うテーマが違うので、何をやっているところか分からないところと言われたり、お客さんを固定できないで、広報面でもすごく難しい課題はあります。一方で、哲学カフェに来ているアートに興味がない人がふらっと展覧会を見に来る、サイエンスカフェに来ている人が鉄道芸術祭に足を運ぶ、といったことが起こってきました。こうした人たちが増えて行くことで、私たちが開拓したこの場所で積み上げてきたことは、今では教養を深める機会、教養を楽しむ場所へと、育っている気がします。


――― スタッフも大変ですね。

木ノ下
展覧会の会場案内等をお手伝いいただくサポートスタッフ(ボランティア)は、事業のたびに募集をしています。固定のサポートスタッフの方もいますが、毎回違う人たちが何割か参加されます。人が循環していく、常に入れ替わるというシステムがおのずと出来上がっているようです。京阪電車、NPOダンスボックス、大阪大学においても、固定のメンバーもいますが、異動で入れ替わるスタッフもいます。それぞれの組織の背景や規模も、違いすぎます。誰かの強い主張で進めたり、誰か一人のプロデューサーやキュレーターを立てるのではなく、ディレクターチームをつくり、それぞれ発案したことから話を深めたり、差し引きして、誰のものでもないけど誰のものでもあるという企画のつくり方を採用しています。

そうなると、人が絶対変化するのです。例えば、一年目は「ダメ」というハードルばかり作る人、という印象の担当者でも、数年「アートエリアB1」にいて異動します、となったとき、めちゃめちゃ残念がって、最後には「アートエリアB1の一番の理解者」のようになります。以前、お客さんやサポートスタッフの方にヒアリングしたのですが、その中にも「アートエリアB1の内容は、常に攻めている」とおっしゃる方がいました。この10年間、消防法や建築法のような法律や仕組み、その規制が強くなり、それに比例してコンプライアンスが常に問われるようになりました。しかしながら、私たちは「この場所だからこそできること」を重視し、各々の組織の立場と責任とともに、自分自身の腹もくくって、常にいろんなことを試行することが、客観的にお客さんにも伝わっていて、とてもうれしく感じています。

――― 今のアートシーンでは、アートが街を変える、といった言い方をしがちです。「アートエリアB1」は街や人、何を一番変えたのでしょうか、それとも変えてないですか。

木ノ下
そんなに簡単には何も変えられない、というのが正直なところです。アートは街を変えるものではなく、これまでとは違う価値観を人にもたらしたり、街の課題や可能性をアートによって明らかにすることはできます。「アートエリアB1」は中之島という街を変える、というよりも、中之島によって「アートエリアB1」が成長させてもらっている感じです。

そして「アートエリアB1」は、アートだけではありません。そこが複雑でもあり、豊かでもあります。だから展覧会でも、カフェでも、あえてもやもやしたり、後ろ髪ひかれる内容にしています。分からなくていいんじゃないですか、でもどうですか、ということを話すことが、いまの時代には大切なことではないでしょうか。リベラルアーツとは本来そういうものですし、真の教養とは情報をたくさん知っているかではなくて、知らなくてもそれについて話し合ったり、感じたり、考えたりすることです。「アートエリアB1」は、そういうことができる場でありたいし、世の中に分かりにくいけど楽しいと感じる場が存在してもいいはずです。私たちは、中之島ひいては大阪、ひいては国内外の面白いものを繋ぐHUB、秘めた実験場としていかに機能できるかということが、アートエリアB1の次の10年の課題と考えています。

【展覧会情報】
鉄道芸術祭vol.7
STATION TO STATION
http://artarea-b1.jp/

会期:2017年11月10日(金)─2018年1月21日(日)
開館時間:12:00〜19:00(12/14(木)〜12/24(日)は21:00まで開館)
*休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月3日
*入場無料(一部有料イベント)

メインアーティスト:立花文穂(アーティスト/グラフィックデザイナー)
参加メンバー:荒木信雄(建築家)、石田千(作家)、高山なおみ(料理家、文筆家)、長崎訓子(イラストレーター)、齋藤圭吾(写真家)、ワタナベケンイチ(イラストレーター)、ナイジェルグラフ(グラフィックアーティスト)、テニスコート(コントユニット)、中野浩二(彫刻家)、コンタクトゴンゾ(パフォーマンス集団)、MAROBAYA[マロバヤ]、太陽バンドと野村卓史、片貝葉月(アーティスト)、藤丸豊美(アーティスト)、葛西絵里香(アーティスト)、伊勢克也(アーティスト)、島武実(作詞家、音楽家)、仲條正義(グラフィックデザイナー)、他

主催:アートエリアB1
企画制作:大阪大学21世紀懐徳堂/NPO法人ダンスボックス
助成:損保ジャパン日本興亜「SOMPO アート・ファンド」(企業メセナ協議会 2021Arts Fund)、大阪市、芸術文化振興基金
協力:京阪電気鉄道(株)

Chisai Fujita

Chisai Fujita . 藤田千彩アートライター/アートジャーナリスト。1974年岡山県生まれ。玉川大学文学部芸術学科芸術文化専攻卒業後、某大手通信会社で社内報の編集業務を手掛ける。5年半のOL生活中に、ギャラリーや横浜トリエンナーレでアートボランティアを経験。2002年独立後、フリーランスでアートライター、編集に携わっている。これまで「ぴあ」「週刊SPA!」「美術手帖」など雑誌、「AllAbout」「artscape」などウェブサイトに、展覧会紹介、レビューやインタビューの執筆、書籍編集を行っている。2005年から「PEELER」を運営する(共同編集:野田利也)。鑑賞活動にも力を入れ、定期的にアートに関心の高い一般人と美術館やギャラリーをまわる「アート巡り」を開催している。また現代アートの現状やアートシーンを伝える・鑑賞する授業として、2011年度、2014年度、2015年度愛知県立芸術大学非常勤講師、2012年度京都精華大学非常勤講師、2016年度愛知県立芸術大学非常勤研究員、2014~ 2017年度大阪成蹊大学非常勤講師などを担当している。 写真 (C) Takuya Matsumi ≫ 他の記事

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