マルセロ・エヴェリン インタビュー後編

日本-ブラジル 表現の自由と規制をめぐって

In インタビュー トップ記事 by Makoto Hamagami 2018-03-27

 
芸術と社会 日本-ブラジル

——現実の社会状況に対する具体的なアプローチということで言えば、あなた方は2006年からテレジナという周縁の地に拠点を置いていますよね。スラム化していた地域で芸術性の高い公演やワークショップを継続的に行うことによって、現在ではテレジナは現代芸術の主要な都市として国際的にも認知される場所へと変貌を遂げたと伺いました。

テレジナでの活動は、私に芸術と社会の強い繋がりを強く意識させる大きなきっかけとなりました。さっきも言ったように、私は観光などのために旅行をすることはありません。だからブラジルからパリへ移ってからしばらくの間、故郷に帰ることもありませんでした。そんなある日、ブラジルからシアターのディレクションの仕事の依頼があったため、久しぶりに故郷テレジナに戻ることになりました。テレジナは、ブラジルの北東部にある貧しい地区で、とても気温が高くて観光客もないし、芸術や文化資本もない地域でした。それでなくてもブラジルは、経済、文化、人、物、全てがサンパウロの一極集中なのですが、中心地から遠く離れたテレジナは、まさにアート不毛の地でした。一方、それまでヨーロッパでの活動が中心であった私は、アーティストとしてとても守られた環境にいたんですね。当時のヨーロッパは芸術のための予算が今よりも豊かで、仕事に対する報酬も十分にありました。だからおよそ久しぶりにブラジルに戻った私は、故郷テレジナのそういった状況にどうアプローチすべきかを、必然的に考えることになりました。私自身がこの土地と深く結びつくこと必要だったのです。プロジェクトを継続して行く中で、スラム化した地域が次第に変化していく様子を見て、芸術が社会や政治政策にとってどれだけ重要なものであるかということを深く考えるようになりました。この経験から、芸術が世界を変えるためのどれだけ大きなプロセスになり得るか、ということを学んだのです。

 

 
 

——一方で、昨今のブラジルでは、表現の取り締まりがより強化されていると聞きました。現在ブラジルでは、どのような状況なのでしょうか?

ブラジルでは、とくに18歳以下の子どもたちに対して、裸体や暴力的なシーンを観せることが法律で厳しく禁止されています。もちろん保護者同伴であれば観劇可能という例外はありますが。私は1962年生まれですが、1964年からブラジルではそういう規制が始まっていた。だから私たちはその規制という考え方のもとに育ち、それをある種基準として、自分たちにできる表現とできない表現を考える必要がありました。そういう意味では、ブラジルの表現者たちは、表現を行う上でつねにこの規制という問題と戦って来ました。一時期は、新しい政府ができて民主化が進み、芸術や文化もオープンで解放された雰囲気の時もありましたが、2016年には大統領の不正をめぐる激しい糾弾が起きて政治が一時ストップし、現在では、残念ながら再び表現に対する厳しい取り締まりの波が強くなっています。

 

——2017年のKYOTO EXPERIMENTでは、『チルドレンズ・チョイス・アワード』という、子どもたちがフェスティバル公式審査員として全ての公式プログラムを鑑賞し、それぞれのアーティストに自分たちで考えた賞を与える、というプログラムが実施されていて、あなたがたの公演では、保護者同伴のもと子ども審査員たちの鑑賞が叶いました。これは、現在のブラジルや日本のアートシーンの状況から考えても、なかなか実現できることではなかったと思います。 ※『チルドレンズ・チョイス・アワード』については、こちらの記事を参照ください。

ブラジルでの表現に関する厳しい規範が私たちにとって当たり前になってしまっているということもあり、はじめは、日本の子どもたちに私たちの作品を観てもらうというのは難しいだろう、と考えていました。それに『病める舞』という作品は、ほぼ全裸のダンサーたちが登場することや、性的な表現も一部あったので。ですが、『チルドレンズ・チョイス・アワード』という素晴らしいプログラムによって、もし私たちの公演を子どもたちが鑑賞することが実現するなら、それほど素晴らしいことはないだろうと思っていました。運営の方々と話し合った結果、作品について子どもたちの両親にきちんと説明を行い、彼らを信頼して観るか観ないかの選択を委ねよう、ということになりました。そして、5人の子どもたちが作品を観たいと立候補し、保護者の方たちと一緒に来てくれました。

公演のあと、子どもたちと交流する時間があったのですが、彼らは率直に色々な質問を投げかけてくれて、私がその質問に答えると、それを一生懸命ノートに書き留めていました。その中の一人の男の子が、「あのダンスにはどんな意味があったのですか?」という質問をしてくれました。それがすごく嬉しかった。もちろん、この質問は大人の鑑賞者から受けることもよくあるのですが、私は大人に答えるときと同じように子どもたちに答えたのです。「君たちは、どういう意味があると思った?君たちは舞台上で何を見て感じたの?」と。この作品が意味するところは、あなたが見たものそのものであるということ、あなたが見て理解したこと、あなたが信じたことである。そう伝わればいい、と思いながら答えました。その質問をしてくれた男の子は、ちょっと戸惑った感じでしたが、『病める舞』という作品から感じた、”曖昧でよく分からない”という気持ちが、彼の頭の中を駆け巡って昇っていくのが私には見えました。
 


 
 

——その後の『チルドレンズ・チョイス・アワード』授賞式では、あなた方は「考えさせられたで賞」という素晴らしい賞を子どもたちから贈られていました。率直に、どんな感想を持たれましたか?

こんなに嬉しいことはありませんでした。まず舞台上に”考えさせられたで賞”というアワードが映し出された時、ああ、これはいいタイトルだな、なんて素敵な賞だろう、と思いました。そしてその賞の受賞者として、私たちの名前が発表されたのです!これまでの人生で様々な賞をいただく機会はありましたが、子どもたちにもらったこの賞は、私が生涯で得た中でもっとも美しい賞のだと思っています。子どもは非常に正直であると同時に、彼らは真実を見る力があるし、感じていることすべてが非常にリアルだ。そんな彼らが、大人の価値観に左右されることなく、自由に観たい公演を鑑賞し、自分たちで判断して、私たちにこの賞をくれた。これほど名誉なことはありませんでした。

 

——私は、あなた方と子どもたちの間で起きたこの出来事を、日本のアートシーンにおける「表現の自由と規制」をめぐる事案のひとつとしても、とてもポジティブなものであると考えています。最近の日本では、表現の自由の問題に対して、少し敏感になっている節がありますが、子どもという存在を通して、たくさんの大人がそれぞれの立場から考え、議論し、生まれた結果だと思います。

授賞式でのスピーチでも言及しましたが、私の国では今、子どもたちが自由に芸術を楽しむ権利を脅かされているとも言えます。アーティストらも、この厳しい法律によって自主規制を行うようになり、私自身も、子どもたちに何を言うべきか、どんな作品を見せるかということについて疑心暗鬼になりそうになっていました。でも日本でのこの経験は、私たちに光を与えてくれた。今は難しい状況が続いているため難しいですが、将来的に母国でフェスティバルを行うことになったときには、このような子どもたちのためのプログラムをぜひ実施したいと思います。

 

 
 

芸術を通して、社会とどう向き合えるか?


——ここまでブラジルと日本を中心として、表現の規制をめぐる問題についてお聞きして来ました。この問題には「芸術家の自由」の問題と、「芸術から影響を受ける社会全体の自由」の問題との両方が含まれていますね。

その通りですね。私は、アーティストたちが思い描く自由な表現が規制されないために戦うし、また鑑賞者がそれらを自由に選択して鑑賞する権利を守りたいと思っています。ですがもうひとつ重要なことは、あなたがおっしゃったように、現実の社会状況に対して私たちが何をできるか、ということなのだと思います。

例えば、私は今年の1月にKOBE DANCE BOXのレジデントとして滞在し、日本人の女性ダンサー、寺田みさこさんのために振り付けを制作しました。タイトルは、『Sekai No Subete No Onna-Tachi(All The Women in The World)』というもので、女性解放のための宣言のような作品です。これは、私自身が日本に滞在する中で感じた、日本にいまだ根強く残る男性優位的な考え方に対してのアプローチです。男尊女卑的な考え方は、もともとどこの社会にもあったものですが、最近ではとくに西欧を中心に女性たちが声をあげて、女性の権利を主張する潮流がありますよね。女性たちが男性からの扱われ方に関して苦しい経験をしてきたことは全世界に共通することですが、日本では、より強くそのことを感じます。女性たちは、もっと自分の権利に対して敏感になるべきだし、彼女たち自身がそういった問題に対して戦っていかなければならない。女性は、男性がもたない素晴らしい感受性と力をもっていると思いますし、私は、そんな彼女たちの権利を絶対的に支援したいと考えています。そして、日本の女性たちに強く伝えたいのです。意味もなく女性が男性に頭を下げる必要はない、男性の後ろに下がっている必要はない、あなたがた女性は美しく素晴らしい存在である、と。人は何者からも自由であるべきだと考えています。誰しもが自分が求めるものを選択する権利があるし、誰かが誰かをコントロールするということがあってはならない。ダンスを通して、日本の人たちにそのことを強く訴えようと試みたのです。

 

——ブラジルの社会には、政府による公な形での表現の規制があり、一方で日本の社会には、表には出てきづらい、より内面的な規制が多くあります。どちらの社会の規制も、その国の歴史や民族性と深く関わった上で現在のような状況が生まれているのだと思います

現在のブラジルは、政治的な状況とも合間って難しい時代であると言えますが、一方で私たちブラジルの表現者は、このような社会的状況と戦う中で強い精神を養って来られたのだと思います。ブラジルの人々は、もともとの気質として、自分たちを抑圧するような状況に対して、とても激しく戦う人たちなのだということもありますが。

一方、日本でこのフェミニズム的作品を制作しているときに、制作に関わっている日本人女性のスタッフが、このような現実の問題に対して、「どう戦っていけばいいのか、方法がわからない」というようなことを言っていたんです。だからわたしは、彼女にこう言いました。「どう戦うか。私はダンスを通して、その方法をあなたたちに伝えたいんですよ」と。私は、自分の表現は、実社会にたいしてアプローチできるものであると信じています。パフォーマンスをすること、振り付けを行うこと、ワークショップなどでダンスを教えることなどによって、私は現実社会における課題を可視化すること、そしてそのような問題との戦い方を伝えようとしているのです。
 
——ありがとうございました。
 

 
 

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マルセロ・エヴェリン Marcelo Evelin
テレジナ(ブラジル)生まれの振付家・研究者・パフォーマー。現在は、アムステルダムとテレジナを拠点に活動している。ヨーロッパでは1986年よりクリエイターとして、1995年に設立した「demolition Inc.」と共に活動を展開。近作『どこもかしこも黒山の人だかりとなる』(2012)や『Batucada』(2014)、『病める舞』(2017)は世界各地のフェスティバルで発表されている。
 

Makoto Hamagami

Makoto Hamagami . 1992年三重県生まれ。大学時代を京都で過ごし、美学芸術学及びアートマネジメントを学ぶ。その後、チェコのアートスタジオに勤務。現在は京都にて多様な背景をもつ人々と協働しながら、芸術、言語、社会とその周辺について、プロジェクト、ワークショップ等の企画・コーディネートを行っている。神戸大学大学院国際文化学研究科在籍。 ≫ 他の記事

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