2015年4月の最終週の週末、京都でアートフェア「超京都 art kyoto 2015」が開かれた。展示販売をする「art kyoto」が京都文化博物館で、また「art kyoto」出展ギャラリー推薦作家で展示・構成された「超京都」をちおん舎で、とこれまであった2つのアートフェアが統合した形を取っている。
そもそも「日本にはマーケットがない」とか、「日本のギャラリーの売上の8割は海外でのアートフェアである」だの、業界ではアートフェアに対して懐疑的なことも言われて久しい。現に日本のギャラリーのなかには「超京都」に出展するのではなく、同じタイミングで行われた海外のアートフェア、例えば若手ギャラリストは「Young Art Taipei」に、海外志向のギャラリーは「Art Brussels」に、といったアートフェアに出展しているところも多い。さらに京都市内だけでも「PARASOPHIA」をはじめとして多くのアートイベントが目白押し。同時期に行うことで京都の今後のアートシーンの発展をねらった、というが、観客はアートフェアをゆっくり味わうことができたのだろうか。
京都文化博物館では、ホワイトキューブ状のブースが並ぶ。ジャンルを横断したギャラリーが24軒(ギャラリーが合同して出展するブースも含む)、とてもミニマムな規模のアートフェアである。まず疲れることもないし、ブースも広めなので展示もゆったりとしており、作品をゆっくり見ることも、ギャラリストや作家ともゆっくり話をすることもできたことは、他とは比べがたい良さであろう。
■学生、若い女性という客層が多かった
京都は美術系大学が多いため、作品に近づいて技法などを読み取ろうとする「勉強熱心な」学生が多かったように感じた。また、アートファンである若い女性たちも多く、彼女たちは会場を足早に、作品を「確認」しているようだった。こうした人たちは美術業界では必要であるが、「作品購入の場」という点から見ると、アートフェアにはいらない人たちである。アートフェアとは何か、どういう人たちに向けて周知すべきか、を考えさせられる。
■「思ったより売れた」というギャラリーは多かった
私が最終日のクローズ1時間前にヒアリングした結果、どのギャラリーも「思ったより売れた」という回答であった。東京のギャラリーや作家を関西で、あるいは、見たことがない/久しぶりにこの作家の作品を見た、ということが、購入の要因になったらしい。つまり来場して、購入する層は、ある程度のアート認知度が高い人たちと言えよう。
■価格帯は5万~30万円が多かった
「安いほうがいい」という時代から、原価高を理由にさまざまな値上げがなされている今日この頃。例えばギャラリーノマルが出していた「蔡國強ポスター」と「名和晃平8枚組」が同じ価格だった。価値基準もあいまいな美術作品は、安くても、高くても、売れるとは限らない。買う方も、個人の好みで選ぶしかない。
こうした「多かった」と傾向はつかめても、それが「超京都 art kyoto」のすべてではないし、日本のすべてではない。
私が特にちおん舎で感じたことが、日本人にとって美術作品は「愛でるもの」である、ということ。これまで取材してきた香港、シンガポール、そしてベルギー・ブリュッセルでの、それぞれに書いたアートフェアは「買う」「選ぶ」という目を持った人たちが多かった。しかし日本人は「きれいですね」「いいですね」という感覚で止まっており、「買う」というステップにまで至らない。この写真に見られるように、設置された作品が部屋のしつらえになっているのは、実は効果的ではない気がする。
「超京都」に限らず日本の現状として、アートフェアで来場者に「買う」という意識はない。出展するギャラリーも、作品あるいは作家を知ってもらえればそれでいいと言うが、楽観的すぎるだろう。日本人特有の「あいまいさ」や「甘え」が、ビジネスチャンスを失っている、と私は考える。
本来ジャンルが異なるはずのアニメやマンガが力を持ち、日に日に美術が追いやられている。美術が美術らしく力を持つためには、きちんと「売ります」「買います」と自信を持つことが求められている。